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泰山城跡

更新日:2021年5月11日

泰山城(たいのやまじょう)跡」について

泰山城跡

文化財の区分

松山市指定記念物(史跡)

指定(登録)年月日

昭和43年10月 指定

所在地及び所有者(管理者)

外部サイトへリンク 新規ウインドウで開きます。松山市中島大浦・畑里(外部サイト) 個人所有

解説

 泰山(たいのやま)は、中島本島の東北、大浦と畑里にまたがる東西約100mの屋島に似た山容で、その標高289mの地点に中世城跡がある。
 城郭は、山頂の北北東から南西へ100m余り細長く延び、地ならしして二段となり、東部の高い方は長径50m、短径30mの帯状で腰曲輪に囲まれており、約30m下方には井戸が残されている。北西部は2haの椿や雑木林で覆われ、100m下は一草木もなく、城壁の石積があり、かつて銅銭が出土したという。
 この泰山城(たいのやまじょう)は、文治5年(1189年)に忽那氏5代の兼平が築城し、天正13年(1585年)、小早川軍の攻略までの約400年間、忽那水軍の拠城であった。南北朝時代に入ると、延元元年(建武3年−1336年)8月に安芸国沼田郡金山城主・武田信春が来襲、その後、興国元年(1340年)10月に再度、武田軍が来襲と、合戦が度たび行われた。豊臣秀吉の四国攻略が始まり、小早川軍が中島に侵入したのは天正13年(1585年)7月12日、泰山城は翌13日に落城した。

お問い合わせ

文化財課(文化財保護担当)
〒790-0003 愛媛県松山市三番町六丁目6-1 第4別館2階
電話:089-948-6603
E-mail:kybunka@city.matsuyama.ehime.jp

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