中村三十三墓
更新日:2024年9月6日
「中村三十三墓」について
文化財の区分
松山市指定記念物(史跡)
指定(登録)年月日
昭和49年5月10日 指定
所在地及び所有者(管理者)
松山市立岩中村(外部サイト) 中村部落
解説
河野氏一族、得能通俊の子孫重見通勝は、後村上天皇(正平年間-1346年~1370年)に仕え、征西将軍・懐良親王に従い、九州・伊予各地に歴戦、功あって、正三位を贈られた。重見家は、通勝が茶臼山日高城を領してから五代の重見通晴に至るまで続いてきた。
この通晴は天正13年(1585年)、中国の小早川隆景と戦い、8月7日、日高城は落城し、一族の多くは自害した。
中村三十三墓の墓石の様式は室町時代中期のものであるが一定でなく、また落城の際における一族郎党の墓だけであるとも考えられず、歴代の武将一族と関連があるものと思われる。
現在の墓は、日高城の北東部丘陵地帯に散在していたものを、明治時代初期この地点に集められたもので、墓石の下には骨壷が埋められている。
お問い合わせ
文化財課(文化財保護担当)
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