波賀部神社古墳 1基

更新日:2021年5月12日

波賀部(はかべ)神社古墳 1基」について

波賀部神社古墳

文化財の区分

松山市指定記念物(史跡)

指定(登録)年月日

昭和40年11月8日 指定

所在地及び所有者(管理者)

解説

 この古墳は、重信川等によって形成された沖積地上に立地している。北方3.9kmには経石山古墳、また東方300mには千軒廃寺(白鳳時代)の存在が知られている。
 墳丘の主軸方向は、ほぼ西を指向し、全長は62m、前方部が全長30m・高さ6.13m・幅28m・後円部高さ6.66mである。松山平野に現存する前方後円墳の中で最大級である。墳丘の周囲には堀をめぐらしており、現在もその一部をしのぶことができる。
 石室構造は、一部の露出により、横穴式石室が考えられ、若干の須恵器(すえき)や円筒埴輪が出土し、その一部が東京国立博物館に保管されている。
 神社は、越智玉純(澄)が神亀5年(728年)大三島より勧請(かんじょう)して、石井郷一宮三島大明神と称す社を建立したという。祭神は、大山積神、雷神、寛王命などである。寛王命は、嵯峨天皇の皇子で、伊予国守として赴任され、この地で亡くなったといわれている。墓地が神社の近くにあったところから墓辺神社と呼ばれていたが、墓の字を嫌って、今の波賀部神社に改められたといわれている。

お問い合わせ

文化財課(文化財保護担当)

〒790-0003 愛媛県松山市三番町六丁目6-1 第4別館2階

電話:089-948-6603

E-mail:kybunka@city.matsuyama.ehime.jp

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