梅の子島砦跡
更新日:2021年5月11日
「梅の子島砦跡」について
文化財の区分
松山市指定記念物(史跡)
指定(登録)年月日
昭和43年10月 指定
所在地及び所有者(管理者)
松山市睦月(外部サイト) 公有地ほか
解説
梅の子島砦跡は、睦月島の北東、芋子瀬戸に浮かぶ標高32m、周囲200m余の小島にあり、干潮時には歩いて渡れる。梅の子島砦は、中島の海の玄関ともいうべき要所にあり、本山城・泰山城への見通しもきくことから、難攻不落の要塞であった。
『大洲旧記・第十二』に「睦月村、梅子城、城主村上源左衛門」とあり、代々、村上氏の居城であったと考えられる。村上氏の出自は、応徳元年(1084年)、藤原親賢とともに流刑された三条院式部大臣道紹の後裔と、その弟の盛久といわれており、この2人の位牌が睦月島の玉善寺にある。
『忽那島開発記』には、「興国三巳年、河野対馬入道善慧当島乱入剋、喚一族野島一類、梅児護中島本山楯篭」「三月廿一日、廿二日、廿三日、野島・梅児・長師三箇所合戦、討勝散々畢」とある。興国3年(康永元年-1342年)3月21日、3日間の激戦にのち、道後湯築城主・河野通盛の軍を撃退した「梅の子の合戦」は有名である。
お問い合わせ
文化財課(文化財保護担当)
〒790-0003 愛媛県松山市三番町六丁目6-1 第4別館2階
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