三輪田米山の墓 1基
更新日:2023年9月11日
「三輪田米山の墓」について
文化財の区分
松山市指定記念物(史跡)
指定(登録)年月日
昭和45年5月18日 指定
所在地及び所有者(管理者)
松山市鷹子町(外部サイト) 個人所有
解説
三輪田米山(1821年~1908年)は、久米郡日尾八幡神社の神官で、1世の名書家である。三輪田清敏の長男として文政4年(1821年)に生まれ、名を常貞、号を米山と称した。米山が書を志したのは17歳のころで、はじめ日下伯厳の書を学び、その後、彼が手本としていた僧明月の書が王義之の書法を習ったものと知り、鷹子村庄屋、乃万家にあった王氏の法帖をならい、独自の書法を極めるに至った。彼の筆跡は日尾家八幡神社をはじめ、中予地区一帯の神名石や注連石、幟などに数多く残されている。
彼は明治41年(1908年)に88歳で逝去し、墓は日尾八幡神社の東方、浄土寺にある。墓標の文字「米山三輪田先生墓」は、彼の生前に自ら筆をふるったものといわれている。
お問い合わせ
文化財課(文化財保護担当)
〒790-0003 愛媛県松山市三番町六丁目6-1 第4別館2階
電話:089-948-6603