蒲生忠知肖像画 1幅

更新日:2012年3月1日

蒲生忠知(がもうただちか)肖像画」について

蒲生忠知肖像画 1幅

文化財の区分

松山市指定有形文化財(絵画)

指定(登録)年月日

昭和37年11月5日 指定

所在地及び所有者(管理者)

個人蔵

解説

 松山城初代城主、加藤嘉明が会津に転封された後、寛永4年(1627年)出羽国(山形県)上山(かみのやま)城4万石の城主であった蒲生忠知(1605年~1634年)が、松山城二代目の城主となった。忠知の祖は藤原秀郷(田原藤太)で、祖父蒲生氏郷は会津100万石の大名、父の秀行は会津60万石を領していた。秀行死去の後は、兄の忠郷が家を継いだが病没したので、その後をうけて同年2月に松山と近江国(滋賀県)の日野の地と併せ24万石を領有した。
 寛永11年(1634年)8月、忠知は参勤交代の途中、京都で病没したといわれている。世嗣がなかったので蒲生家は松山に在城すること7年4カ月、田原藤太以来700年の名門が断絶した。この画像は史料として貴重なばかりでなく、肖像画として優れたものである。

お問い合わせ

文化財課(文化財保護担当)

〒790-0003 愛媛県松山市三番町六丁目6-1 第4別館2階

電話:089-948-6603

E-mail:kybunka@city.matsuyama.ehime.jp

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