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鎌大師境内

更新日:2012年3月1日

鎌大師(かまだいし)境内」について

鎌大使境内

文化財の区分

松山市指定記念物(史跡)

指定(登録)年月日

昭和48年4月9日 指定

所在地及び所有者(管理者)

外部サイトへリンク 新規ウインドウで開きます。松山市下難波(外部サイト) 下難波部落

解説

鎌大師

  • 平安時代、弘法大師四国巡行のみぎり、草を刈りつつ泣く童子を見てわけを聞くと、「疫病が流行し姉が死に弟も患っており、一族死滅するのではないかと心配で」と言う。大師はこれを憐み童子の持っていた鎌で木片に自分の像を刻み、これに祈願するようにと言い残し立ち去った。童子がその言葉どおりにすると、病人は快癒し、地方の悪病も消滅した。その仏像を本尊として堂を建て、「御自作鎌大師」と称したというのがその伝説であり、由来である。

芭蕉塚

  • 寛政5年(1793年)、芭蕉100回忌にあたり、翁の遺徳をしのぶ人々によって建てられたもので、碑には句が刻まれていないが、藤花塚(とうかづか)と言われ、翁の句「草臥(くたび)れて宿かるころや藤の花」に因んだ筆蹟を埋めたものではないかといわれている。県下でも古い芭蕉塚の一つである。設立者は松山白兎(はくと)二要(によう)扇谿(せんけい)、風早兎文(とぶん)壷茗(こみょう)圃夕(ほせき)杜由(とゆう)可興(かこう)梅長(ばいちょう)恕由(じょゆう)、の名が刻まれている。翁の100回忌には亀水塚(三津の洗心庵)とこの藤花塚が建立された。

十八人塚

  • 建武2年(1335年)、赤橋武蔵野守重時は烏帽子(えぼうし)城(現在の恵良山)に拠っていたが、土居、得能連合軍1万人に攻められ、戦い利あらず重時ら主従十八人が自刃した。彼らを葬ったと伝えられるのが十八人塚と称される境内南西面にある古墳内に祀られている。

お問い合わせ

文化財課(文化財保護担当)
〒790-0003 愛媛県松山市三番町六丁目6-1 第4別館2階
電話:089-948-6603
E-mail:kybunka@city.matsuyama.ehime.jp

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