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忽那嶋代官屋敷跡

更新日:2012年3月1日

「忽那嶋代官屋敷跡」について

忽那嶋代官屋敷跡

文化財の区分

松山市指定記念物(史跡)

指定(登録)年月日

平成9年12月15日 指定

所在地及び所有者(管理者)

外部サイトへリンク 新規ウインドウで開きます。松山市中島大浦(外部サイト) 個人所有

解説

 大洲藩の代官屋敷があった場所で、その石組みが残されている。
 関が原の戦いののち、伊予は加藤嘉明・藤堂高虎の2分時代を迎え、両者は慶長5年(1600年)、協定を取交わして領地を確定したが、中島地域では、加藤領が長師・宮野・神浦・熊田・吉木・饒・畑里・津和地・二神・野忽那、藤堂領が大浦・小浜・無津木(無須喜・睦月)・粟井・宇和間・桑名(上怒和)・嶋尻(元怒和)となった。中島2分割の状況は、領主の交代のたびに引き継がれ、明治維新まで続く。
 寛永12年(1634年)、松平松山藩初代定行が入府すると、この島々の呼び名も、従来の忽那島という名は大洲藩だけのものになり、松平松山藩では風早郡の島方の意味で風早島と呼ぶようになった。その後、大洲藩領の忽那島では、安永9年(1780年)、粟井村・大浦村の全部と小浜村の半分が天領(幕府直轄領)となり、大洲藩風早郡御預所の管轄となった。
 弘化年間(1844年〜1848年)、大洲藩士岡田助右衛門という忽那島代官の屋敷のあったことが助右衛門筆『役用手控』に記されている。周囲は2〜3段の角石垣で囲まれているが、当時の建物は残っていない。「代官所長屋門」だけは大正時代に移転改修されて150年前の建築様式を今に伝えている。『岡田家傅書』によると、弘化4年(1847年)、前任の野間半之助から任を引き継ぎ、翌年に「長屋門」を建て、安政5年(1858年)川越條助と交代するまで11年間、島の代官として活躍した。

お問い合わせ

文化財課(文化財保護担当)
〒790-0003 愛媛県松山市三番町六丁目6-1 第4別館2階
電話:089-948-6603
E-mail:kybunka@city.matsuyama.ehime.jp

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