天山神社北遺跡出土遺物 一括
更新日:2014年7月29日
「天山神社北遺跡出土遺物」について
文化財の区分
松山市指定有形文化財(考古資料)
指定(登録)年月日
昭和48年8月19日 指定
所在地及び所有者(管理者)
松山市南斎院町 松山市教育委員会
解説
天山は、松山平野のほぼ中央部に在り、付近には、星岡・土亀山・東山とそれぞれ分離独立丘陵が形成されている。
古くは『伊予国風土記』逸文に「伊予の郡。郡家より東北のかたに天山あり、天山と名づくる由は、倭に天の加具山あり、天より天降し時に、二つに分かれて…片端は此の土に天降りき。……」とある。
天山神社北古墳(天山1号墳)は、開墾等により床面だけを残す状態で、石室形態は不明であったが、この面より奇跡的に銅鏡・鉄刀・子持付器台等が発見された。
- 銅鏡(銘帯環状乳五神五獣鏡)1、鏡面径19.3cm・図文面径18.7cm・面の反り0.7cm・紐径3.1cm・紐高1.6cm・鏡縁厚0.7cm・中央部厚0.2cm。内区は三重圏文に続いて五神五玄武が配される。五玄武のうち二玄武の頭上には、姿の異なる朱鳥とみられるものが図文化されている。その外側に半円方形帯(半円8・文形8)があり、方形の部に伯子天王公□となっている。外区には銘辞帯を配し、その外は無文の平縁となっている。銘辞帯は49字前後が推定でき・陽覧覩方昭中央・左龍右虎辟不詳・朱鳥玄武順陰陽・服□□□…と7字句になり、漢時代の鏡の標本的な銘文が考えられ、また後漢時代の「清盖盤龍四神鏡」と同じ銘字である。国内には同范鏡の出土はみられていない。倭の五王の時代に入手した中国鏡である。
- 鉄刀 全長113cm・刀身長93cm・中心長・切先長2cmで直刀の大刀である。その他の鉄器類として刀子・鉄鏃・釘等が出土している。
- 古墳築造時前のピット状遺構より弥生後期に属する甕形土器・壺形土器・台付壺形土器・高坏・器台等の一括遺物が出土している。
お問い合わせ
文化財課(文化財保護担当)
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