足立重信の墓
更新日:2021年4月30日
「足立重信 の墓」について
文化財の区分
愛媛県指定記念物(史跡)
指定(登録)年月日
昭和26年11月27日 指定
所在地及び所有者(管理者)
松山市御幸1丁目(外部サイト) 来迎寺
解説
足立重信(~1625年)は松山城主加藤嘉明の家老である。美濃国に生まれ、字を兼清・元清、通称を半右衛門といい、若年で嘉明に仕え、文禄の役(1592年)にも従軍した。嘉明がその功労によって正木(松前)城主6万石に封ぜられると、重信も伊予国に来住した。その後慶長の役(1597年)が起ると、重信は嘉明らとともに出征し、水軍として活動した。加藤清正らが、蔚山城で苦戦しているのを救援した戦功により、嘉明は10万石に加増された。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いに嘉明は出征し、留守をあずかる重信は、石田三成側に応じた毛利勢および河野氏残党が正木城に来襲したのを撃退した。合戦後、20万石の大名となった嘉明は、勝山へ移転城築して、城下町を松山と改めた。重信は普請奉行の要職に就き、湯山川(後の石手川)を南方に移して大改修し、広い灌漑用地と城下町の建築地を築いた。重信は、松山城の築城、城下町の建設に20数年間尽力したが、その完成をみないで寛永2年(1625年)に逝去した。本人の遺言によって、松山城を望見できる城北の来迎寺境内に墳墓がつくられたという。墓碑は高さ224cmあまり、花崗岩の五輪塔である。大正8年(1919年)、正五位を追贈された。
お問い合わせ
文化財課(文化財保護担当)
〒790-0003 愛媛県松山市三番町六丁目6-1 第4別館2階
電話:089-948-6603
