青地林宗の墓
更新日:2021年4月30日
「青地林宗 の墓」について
文化財の区分
愛媛県指定記念物(史跡)
指定(登録)年月日
昭和26年11月27日 指定
所在地及び所有者(管理者)
松山市御幸1丁目(外部サイト) 来迎寺
解説
青地林宗(1775年~1833年)は、安永4年(1775年)に松山藩医青地快庵の子として生まれ、名を盈、字を子遠、号を芳滸ともいった。はじめ家業の漢方医術を学び、京、大阪に遊学したが、30歳のころ江戸に出て、天文台訳官馬場佐十郎や杉田玄白について蘭方医学を研究した。林宗は学ぶこと数年で頭角を現し、宇田川榛斎、杉田立卿、伊藤玄朴らとともに、当時の学界をリードした。文政5年(1822年)幕府天文台訳員となり、洋学翻訳に従事した。このころから彼は究理学にも意欲を燃やし、『格物綜凡』を訳出し、また『気海観瀾』を著して、わが国にはじめて物理学を紹介した。さらに地誌にも視野を広げ、『輿地誌』65巻を著した。
天保2年(1831年)、水戸藩の要請により医員兼西学都講に就任したが、同4年(1833年)に58歳で病没した。はじめ江戸浅草の曹源寺に葬られたが、昭和3年(1928年)に青地家に縁のある、この来迎寺に改葬された。墓碑銘の「青地林宗先生墓」は、呉秀三の筆になるもので、その側に頌徳碑が建てられている。
お問い合わせ
文化財課(文化財保護担当)
〒790-0003 愛媛県松山市三番町六丁目6-1 第4別館2階
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