恵良城跡

更新日:2021年4月30日

恵良城跡(えりょうじょうあと)」について

恵良城

文化財の区分

愛媛県指定記念物(史跡)

指定(登録)年月日

昭和52年4月15日 指定

所在地及び所有者(管理者)

解説

 浅海原と難波との境302mの恵良(えりょう)山上を中心とした城で、湯築城の控え要地として河野氏盛衰に直接的な役割を果たした城である。治承5年(1181年)、備後の奴可入道西寂(ぬかにゅうどうせいじゃく)が来攻したとき河野通清は恵良城などを守らせたと初めて文献に出てくるまで、難波次郎長浦が築城し居城したという。しかし、その時代は不明である。
 ともあれこの恵良城は天嶮(てんけん)を巧みに利用した石積みや、延長130mの帯状の腰曲輪(こしぐるわ)、各所に張り出した桝形郭(ますがたかく)、その他貯水井戸の遺構など貴重な資料が残存する。さらに、山の西南方の斜面には三段の土塁跡があり、腰折山へ向かう鞍部(あんぶ)高地に作戦上貴重な拠点を構えて敵を谷間や尾根に誘い込み前後あるいは左右から挟撃(きょうげき)する水軍戦法をめざした構え、また一度に多くの兵が殺到できないよう地形の利用などのかためをしていたもののようである。これはあたかも来島水軍が越智郡波方に群郭複合式城砦群をつくったが、その砦方式に似ているうに思われる。
 こうして天正13年(1585年)河野氏滅亡ののち、得居通之が戦功によって3000石とこの城を与えられたが、来島康親が九州へ移封されるとともに廃城となった。恵良山は今はイブキビヤクシンの自然林としても知られている。

お問い合わせ

文化財課(文化財保護担当)

〒790-0003 愛媛県松山市三番町六丁目6-1 第4別館2階

電話:089-948-6603

E-mail:kybunka@city.matsuyama.ehime.jp

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