一遍上人の誕生地
更新日:2021年4月30日
「一遍上人 の誕生地」について
文化財の区分
愛媛県指定記念物(史跡)
指定(登録)年月日
昭和24年9月17日 指定
所在地及び所有者(管理者)
松山市道後湯月町(外部サイト) 宝厳寺
解説
一遍上人(1239~1289)は、法名智真、俗姓越智氏、延応元年(1239年)、河野通広の第2子として生まれた。その地は現在、時宗宝厳寺となってる。彼は早く母をなくし、そのため剃髪して仏門に入り、浄土宗や禅を学んだ。文永11年(1274年)、時宗を開き、翌年熊野に参籠し霊験を得て、一遍と改名し、「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と書いた紙札をくばる賦算を始めた。その教えは、踊念仏によって全国的にひろがり、一遍は遊行上人とも捨聖ともいわれ、民衆から尊崇され、一所不在、民衆救済の実践家として、鎌倉仏教史上に重要な地位を占めている。正応2年(1289年)、遊行中に摂津国和田岬観音堂(のちの真光寺)で没した。
お問い合わせ
文化財課(文化財保護担当)
〒790-0003 愛媛県松山市三番町六丁目6-1 第4別館2階
電話:089-948-6603