松平定政の霊廟
更新日:2021年4月30日
「松平定政 の霊廟 」について
文化財の区分
愛媛県指定記念物(史跡)
指定(登録)年月日
昭和29年11月24日 指定
所在地及び所有者(管理者)
松山市祝谷東町(外部サイト) 個人所有
解説
松平定政(1610年~1673年)は、慶長15年(1610年)、久松定勝の第6男として伏見城内で生まれた。資性極めて高まいの士で、将軍家光に仕えて能登守に任ぜられ、慶安2年(1649年)、三河国刈谷2万石の藩主となった。4代将軍家綱のはじめに、幕政改革の建白書を提出して時勢を論ずるとともに、領地返上を申し出て上野寛永寺に隠棲した。幕府はこの所行を狂気のなせるわざとして城地を没収し、実兄松山藩主松平定行に預けて謹慎を命じた。定政は、吟松庵(畑寺町)に隠居して後「不白(伯)」と号し、和歌、華道に親しみ、この道の向上につくし、延宝元年(1673年)12月に63歳で逝去した。
霊廟は一間四方、桟瓦葺宝形造に向拝のついた極めて簡素な小建築物である。
お問い合わせ
文化財課(文化財保護担当)
〒790-0003 愛媛県松山市三番町六丁目6-1 第4別館2階
電話:089-948-6603