松山城天守 1棟
更新日:2012年3月1日
「松山城天守 」について
文化財の区分
重要文化財(建造物)
指定(登録)年月日
昭和10年5月13日 指定
所在地及び所有者(管理者)
松山市丸之内(外部サイト) 松山市
連絡先:松山城総合事務所(電話番号089-921-4873)
解説
慶長7年(1602年)、加藤嘉明が築城を開始した松山城の当初の天守は、5層の偉容を誇ったと伝えられている。寛永19年(1642年)、松平松山藩初代藩主定行はこれを3層に改築したが、天明4年(1784年)の落雷によって天守を含む本壇(天守丸)一帯の建物はすべて焼失した。現在の天守は、その後68年を経て嘉永5年(1852年)に復元されたもので、わが国城郭建築史上における最後の作品として注目される。
この天守は、本壇の地盤面からさらに4m高く石垣を築いた天守丸の上に構築され、その中央に位置する。小天守以下の諸櫓を環立させて中に内庭をとり、さらに他の門・櫓も従えて連立式城郭を形成する。
地盤面上に石造穴蔵1階(古来これを地下1階と呼ぶ)を築き、その上は木造3層3階とする。最上層屋根は入母屋造、下の木造2・1層屋根の四面には千鳥破風及び唐破風の付破風を置くが、いずれも本瓦葺である。構造的には後期層塔式天守に分類される。
石造穴蔵は、外壁・内壁とも切込ハギの石積で構築され、内庭に面する入口には、鉄板張りの厚手の扉が吊り込まれ、その上部には重量約6tのまぐさ石が5本並列して渡される。床は敷瓦を敷きつめる。内部には
3層3階の木造部分は、最上階の外周(桁行6間、梁間4間半)の柱及び間仕切をそのまま2階から1階に降ろしてこれを基本軸組とし、その隅柱には
この天守への登城は、内庭に面する玄関から玄関多聞を経て行われた。
お問い合わせ
文化財課(文化財保護担当)
〒790-0003 愛媛県松山市三番町六丁目6-1 第4別館2階
電話:089-948-6603