久保家住宅待合
更新日:2025年2月7日
「久保家住宅待合」について
外観(南東から)
南壁
文化財の区分
登録有形文化財(建造物)
指定(登録)年月日
令和5年2月27日 登録
所在地及び所有者(管理者)
松山市道後湯之町(外部サイト) 個人所有
解説
久保家住宅待合は、敷地に北西角に建つ。明治32(1899)年頃、開業医である久保彦次により住宅として建設された主屋と同時期に建造されたと推測される。
建築年代は、棟札や墨書が無く断定できないが、主屋の茶室と合わせて建てられたと考えられ、久保彦次が久保醫院を開業した明治32(1899)年頃と推定される。
待合は、木造平屋建て招き屋根桟瓦葺一部鋼板葺で、主屋の茶室に対して直行方向に建てられ、背面が外塀に密接して建てられる。木軸のほとんどを節丸太で組み、屋根裏は杉皮の化粧野地を竹小舞で押さえ皮付丸太の垂木を並べる。北側壁は、南側壁に比べ広く、南側壁では出桁状に軒桁を梁で支える形となる。壁は全体を中塗仕上とする。腰掛は奥行が深くなる北側壁から座面に竹を使い、南側壁と直行する約60cmの間を階段状に並べて意匠を整える。
久保家住宅待合は、明治後期に建設された主屋の茶室と合わせ露地を形成しており、伝統的な数寄屋の外観は、道後温泉本館と共に明治後期の道後湯之町の歴史景観を伝える数少ない貴重な建造物である。
