久保家住宅離れ

更新日:2023年3月2日

「久保家住宅離れ」について

文化財の区分

 登録有形文化財(建造物)

指定(登録)年月日

 令和5年2月27日 登録

所在地及び所有者(管理者)

 松山市道後湯之町 個人所有

解説

 久保家住宅離れは、敷地北東に現在は北面して建つ。大正3(1914)年頃、医薬品倉庫兼勉強部屋として建設したと伝わる。昭和28年(1953年)、離れを店舗とし改修し骨董商に賃貸したと伝わり、その後も店子は入れ替わりながら店舗として賃貸され、現在は飲食店として利用されている。
 離れは、木造二階建て、入母屋造り、桟瓦葺きで、2階の階高が高く、1階の西面と南面に桟瓦葺きの下屋を廻らす。外観は、北面中央に引き違い戸の玄関を設け、桟瓦葺きの玄関庇を備える。入口東側には半間の戸袋、上部には下地窓風の玄関欄間を設けている。正面西側は、ガラス張りの出窓型ショーウィンドウを配し、銅板一文字吹きの屋根を設けている。北面東隅には勝手口が設けられ、その前面には目隠しの瓦葺き板塀設け、母屋から庇を掛け、玄関ポーチとしている。正面外壁は1階から2階までモルタル塗籠めで、2階には窓が2か所設けられている。外壁東面は全面をプリント鋼板で補修されている。南面は軸部を現しとする真壁で、1階は下屋が廻り、東寄りに手洗いを増築しているほか、西から1間分は土壁、1間分には窓が設けられ、手前に目隠しの板塀が設けられている。南面2階は、西端半間の壁以外はガラス窓とし、窓の高さで縁を張り出し、手摺を付け、上部には庇を設けている。西面は、南面と同様真壁とするが、3分の2程度が改修によりモルタルで塗籠られている。1階は下屋を廻らせ、中央部分に丸窓と障子を設けているが、内部から閉じられている。2階は南面と同様、北半間分の壁を残し窓とし、手摺付きの縁、庇を設けている。
 1階内部は、2間で構成されているが、どちらも床が取り除かれ、土間となっている。1階は建設当初は医薬品倉庫として使用されていたと伝えられている。2階は、西側が6畳、階段と板間を挟んで東側が3畳の和室となっている。この2部屋は、当初は勉強部屋として利用されていた。西6畳には、北面西側に床の間、東側に押入れを設ける。この床の間については、床框が2段になっていて、後年改修された可能性も考えられる。東3畳についても、北側は押入となっていて、板戸が設けられている。なお、押入内部は漆喰塗籠で仕上げられており、外観で確認できる窓が飾りであることがわかる。
 医薬品倉庫兼勉強部屋という建築目的にあう実用的な建物でありながら、2階の階高を高くとり、主屋のある南西方向に大きな開口と高欄を設けた外観は大正年間の建物らしい景観を見せている。昭和期の店舗への改変においては、伊佐爾波神社の参道である北側に玄関とショーウィンドウを設け、殺風景な2階に偽窓を設けて意匠を整えており、にぎやかな参道の景観に良く調和している。
 このように、久保家住宅離れは、観光客で大いににぎわう道後湯之町の大正から昭和にかけての歴史的景観を伝える重要な建造物である。

お問い合わせ

文化財課

〒790-0003 愛媛県松山市三番町六丁目6-1 第4別館2階

電話:089-948-6603

E-mail:kybunka@city.matsuyama.ehime.jp

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