昭和時代(元年~10年)

松山の歴史

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昭和時代
時代 年代 松山のできごと、その関連事項
西暦 和暦
昭和時代 1926年 大正15年
昭和1年
12月 大正天皇崩御、摂政裕仁親王が踐祚し昭和と改元する
1927年 昭和2年 4月 国鉄予讃線北条~松山間開通、松山線全線開通なる
国鉄開通記念全国産業博覧会、城北練兵場で開催
道後湯之町冠山のふもとに鷺の湯を開設する
松山タクシー会社が創立開業する(タクシー15台、料金大型6人乗り70銭・小型3人乗り50銭 昭和9年松山自動車会社に合流)
5月 松山市で初めてメーデーデモがあり、50人余が参加する
9月 民政党愛媛支部、発足式を松山市で開催する
三津浜町に町営市場を設営する
10月 道後公会堂を道後公園の北側に建設する
1928年 昭和3年 1月 松山商業会議所、松山商工会議所と改称する
2月 政治社会問題研究会主催・無産青年同盟支部支援の普選激励演説会を大街道敷島館で開催する(高須峯造ら演説、聴衆400人、松山署員は出る弁士ごとに注意中止を連発し、最後に解散命令する)
4月 「大日本国粋会」愛媛県本部発会式を大街道新栄座で挙行する
太刀銘国行(伊佐爾波神社)・太刀銘助包(東雲神社)が重要文化財に指定される
5月 松山市のメーデー示威行進が6人で実施される(前日合同組合幹部が検束される)
勝田主計、田中内閣改造で文部大臣に就任する
7月 松山測候所を移転する(北持田町)
8月 鶴田義行、第9回オリンピック(アムステルダム)で200メートル平泳ぎに優勝する
10月 立花橋(鉄筋コンクリート)が竣工開通する
12月 三津魚市場を町営に移管する
1929年 昭和4年 2月 市会、松山城濠を幅約9メートル間埋め立て、道路を拡張する案を可決する
3月 尋常小学校の校名、第1・第2・第3・第4・第5・第7を番町・味酒・八坂・東雲・新玉・藤原各尋常小学校と改称する
4月 三津浜競馬場を設置する
5月 日本航空研究所の水上飛行機、大阪・高松・松山の定期航空輸送を開始する
1930年 昭和5年 2月 予讃線、松山-南郡中間が開通する
5月 松山合同労働組合を解散する(3.15事件依頼労農党・評議会系組合弾圧のため)
6月 梅津寺埋立地西岸に、会場納涼桟橋を完成させる(長さ約58メートル・幅約7メートル)
8月 市内で流行性脳炎が発生する(県下に流行・市の患者43人、死者33人)
10月 第3回国勢調査で松山市世帯数18242、人口82477人となる
11月 松山市制40周年記念式典を挙行する
加藤嘉明築城300年祭を行う(天守で遺物展)
不景気で松山市の失業者は8千人
1931年 昭和6年 2月 松山地方は25年ぶりの大雪となる
9月 松山市連合婦人会を結成する
満州事変勃発
10月 愛媛新報は、社説「国論は既に統一せり」と題し、中華民国政府・国際連盟を非難、満州事変は自衛の行動、全国民は支持すべきだと強調する(このころより愛媛の各新聞そろってセンセーショナルな排外主義・民族主義的論調に傾斜)
11月 香川熊太郎、第8代市長に就任する
12月 犬養毅政友会内閣が成立する
1932年 昭和7年 2月 市・温泉郡道後湯之町大字道後の一部を編入する
4月 第9回全国中等学校選抜野球大会で松山商業が2度目の優勝をする
5月 15日、5.15事件が起こる
斎藤実内閣が成立する
7月 第10回オリンピック(ロサンゼルス)200メートル平泳ぎで鶴田義行が優勝する(2連勝)
8月 市内で流行性脳炎が発生し、県下にも流行する(患者66人・死者41人)
1933年 昭和8年 5月 白石大蔵、市会で選出され第9代市長となる
7月 松山城本丸、午前1時ころ出火、玄関・北隅櫓・十間廊下・小天守など城郭の3分の1を焼失する(放火魔事件)
11月 井上久吉が第10代市長となる
1934年 昭和9年 7月 梅津寺遊園地が竣工開設する(伊予鉄電経営)
1935年 昭和10年 5月 松山城天守及び戸無門・乾門・紫竹門・野原門・筒井門並びに各門の続櫓など25棟、国宝に指定される(旧法)
県立図書館新築工事が竣工する(8月15日新図書館開館)
7月 国防婦人会松山支部が発会する
8月 第21回全国中等学校野球大会で松山商業学校が初優勝する
10月 国勢調査で市世帯数18364人、人口81940人となる
市立松山青年学校と味酒・雄郡・東雲の3分教場が開校する
12月 松山-東京間の直通電話が開通する

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