松山城年表
更新日:2022年2月16日
松山城年表
西暦 | 城主 | 居城年 | 参考 |
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1603年 | 加藤嘉明 | 慶長8年 | 慶長6年(1601年)築城許可。翌年(1602年)着工し、同8年(1603年)正木城より移る。寛永4年会津40万石に転封。 |
1627年 | 蒲生忠知 | 寛永4年 | 蒲生氏郷の孫、出羽上山より移封。二之丸完成。寛永11年逝去、嗣子なく断絶。 |
1635年 | 松平定行 | 寛永12年 | 寛永12年伊勢桑名より転封。徳川家康の異父同母弟松平定勝の子、寛永19年三重の連立式天守建造。 |
1658年 | 松平定頼 | 万治元年 | |
1662年 | 松平定長 | 寛文2年 | |
1674年 | 松平定直 | 延宝2年 | 今治藩主松平定時の子、延宝2年就封。 |
1720年 | 松平定英 | 享保5年 | |
1733年 | 松平定喬 | 享保18年 | |
1763年 | 松平定功 | 宝歴13年 | |
1765年 | 松平定静 | 明和2年 | |
1779年 | 松平定国 | 安永8年 | 天明4年(1784年)天守群落雷で焼失。 |
1804年 | 松平定則 | 文化元年 | |
1809年 | 松平定通 | 文化6年 | 文政3年(1820年)天守群再建工事にかかる。 |
1835年 | 松平勝善 | 天保6年 | 嘉永5年(1852年)連立式天守再建(現存)。 |
1856年 | 松平勝成 | 安政3年 | |
1867年 | 松平定昭 | 慶応3年 | |
1868年 | 松平勝成 | 明治1年 | 松平姓を返上し旧姓の久松となる。 |
1869年 | 明治2年 | 版籍奉還、明治3年三之丸邸全焼、同5年二之丸邸焼失。 | |
1923年 | 大正12年 | 久松定謨伯より城郭を寄贈され松山市の所有になる。 | |
1933年 | 昭和8年 | 小天守・南隅櫓・北隅櫓・多聞櫓など放火の為焼失。 | |
1945年 | 昭和20年 | 乾門など戦災の為焼失。 | |
1958年 | 昭和33年 | 馬具櫓を鉄筋で復興。 | |
1968年 | 昭和43年 | 小天守・南隅櫓・北隅櫓・多聞櫓・十間廊下などを木造で復興。 | |
1971年 | 昭和46年 | 筒井門などを木造で復興。 | |
1972年 | 昭和47年 | 太鼓門などを木造で復興。 | |
1973年 | 昭和48年 | 太鼓櫓を木造で復興。 | |
1979年 | 昭和54年 | 天神櫓などを木造で復興。 | |
1982年 | 昭和57年 | 乾門・同東続櫓を木造で復興。 | |
1984年 | 昭和59年 | 艮門・同東続櫓を木造で復興。 | |
1986年 | 昭和61年 | 巽櫓などを木造で復興。 | |
1990年 | 平成2年 | 太鼓門西塀を復興。 | |
1992年 | 平成4年 | 松山城二之丸史跡庭園開園。 |