松山城の紋章

更新日:2022年2月1日

松山城の紋章

屋根に付けられた紋章1
屋根に付けられた紋章

松山城の天守の紋章は、江戸幕府の将軍、徳川家とゆかりのある「丸に三つ葉葵」(三つ葉左葵巴)となっています。

 松山城の築城に着手したのは、西国大名であった加藤嘉明ですが、広大な平山城の完成直前に会津藩へ転封となり、次に城主となった蒲生忠知が二之丸などを完成させましたが、跡継ぎがいなかったため在藩7年で断絶してしまいます。

 そして、1635年に松平定行が城主となり、それ以降、明治維新までの235年間に渡り、松山は四国の親藩としての役目も担いました。定行は1642年に本壇を改築し、三重の連立式天守を建造しましたが、1784年の落雷で焼失、1852年に再建されました。これが今の松山城天守で、「現存12天守」の中では、唯一、親藩(松平氏)が建築し、「丸に三つ葉葵」(通称:葵の御紋)が付された城郭となっており、わが国最後の完全な城郭建築である天守は、黒船来航の前年に再建したことになります。

(松山藩の松平家は、明治政府より旧姓である久松(家紋は星梅鉢)を名乗るように命じられ、華族に列せられた後、1923年(大正12年)に松山城を松山市へ寄贈しました。当時、二之丸と堀之内は陸軍省の管轄で、一般市民の自由な立ち入りはできませんでした。)

城内展示品「長持」の「葵の御紋」1
城内展示品「長持」の「葵の御紋」

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