城山公園
更新日:2023年10月27日
城山公園は、松山市の中心部に位置する松山城跡のほぼ全域を都市公園(総合公園)として開設した、本市の代表的な公園です。
沿革
- 明治7(1874)年に本丸が「聚楽園(松山公園)」として開設され、明治19(1886)年に廃止される。
- 明治43(1910)年に公園として再開されるとともに、新たに県庁裏と古町からの登城道が造られる。
- 昭和23(1948)年に都市計画公園緑地「城山公園」として告示され、その後、堀之内には野球場・庭球場・ラグビー場・弓道場・県民館・陸上競技場が整備される。
- 昭和24(1949)年にに城山が県天然記念物「松山城山樹叢」に指定される。
- 昭和27年(1952年)に公園の大部分が国史跡「松山城跡」に指定される。
- 昭和31(1956)年に都市公園となる。
なお、この公園の一部は、財務省(四国財務局松山財務事務所)から土地を無償で借り受けて設置しています。
歴史・見所
松山城は今から約400年前、加藤嘉明が慶長7(1602)年から築城を開始し、わが国の築城史上、最長の歳月(約25年)をかけて完成した四国最大の城郭です。加藤氏は城の完成前に会津藩へ転封となり、蒲生氏の時代を経て、寛永12(1635)年から明治元(1868)年までの233年間にわたり、親藩である松平氏の居城となりました。
なお、本公園は「日本さくら名所100選(平成元年)」や「日本の歴史公園100選(平成18年)」の指定を受けています。
本丸跡
松山城は、わが国最後の完全な城郭建築と言われ、「現存12天守」の中で、姫路城と並ぶ連立式の天守を有しています。そのほか、本丸跡には、日本で唯一現存している望楼型二重櫓の「野原櫓」や、築城当初から現存する「乾櫓」「隠門」をはじめとして、計21棟の建造物が、昭和25(1950)年に国の重要文化財に指定されています。また、「現存12天守」の中で松山城跡と彦根城跡だけにみられる「登り石垣」が、二之丸跡から本丸跡にかけて残っています。
二之丸跡
二之丸は、藩の中枢施設で、藩庁として役割を果たす「表御殿」と藩主の家族の住居である「奥御殿」からなっています。平成4(1992)年に「松山城二之丸史跡庭園」として開園し、「表御殿」は草花や柑橘類により、「奥御殿」は流水園として水と砂利と芝生により往時の間取りを表現しています。また、発掘調査によって、規模や大きさが注目された「大井戸遺構」は、露出展示しています。
堀之内地区(三之丸跡ほか)
堀之内地区(三之丸跡ほか)は、本丸に次いで、慶長10(1605)年頃に完成されたと伝えられています。土塁と堀に囲まれ、外部との出入口として、北御門と東御門が設けられていました。藩主が住んでいた御殿をはじめ、会所、勘定所、小普請所、米蔵、厩などの藩の役所のほか、約60名の家臣たちとその家族の屋敷がありました。 明治時代以降は、県庁などが設けられ、後に陸軍省の所管となり、太平洋戦争終戦まで、陸軍歩兵第22連隊の兵舎がありました。太平洋戦争後は、野球場、庭球場、プール、競輪場、がんセンターなどの施設ができました。
現在、平成12年に策定した「城山公園(堀之内地区)整備計画」と令和元年に策定した「史跡松山城跡保存活用計画」を基に、史跡松山城跡整備検討専門委員並びに文化庁と協議しながら段階的に整備を進めています。
平成22年4月、多くの施設を移設撤去して、発掘調査の成果を活かし、江戸時代の地割となる道路や側溝などの遺構を表示し、史跡景観を活かした都市公園として第1期整備が完成しました。
城山公園に関する基本的な計画
交通アクセス
- 松山市駅から徒歩10分
- JR松山駅から徒歩15分
- 松山空港から車で15分(リムジンバス:愛媛新聞社前下車徒歩5分)
- 道後温泉から市内電車15分(南堀端・西堀端下車徒歩5分)
※城山公園(堀之内地区)には駐車場がありませんので、公共交通機関又は周辺の有料駐車場を御利用ください。
お問い合わせ
- 松山城・二之丸
観光・国際交流課 電話:089-948-6556
松山城総合事務所 電話:089-921-4873
二之丸史跡庭園 電話:089-921-2000
- 堀之内地区(三之丸)
市街地整備課
〒790-8571 愛媛県松山市二番町四丁目7-2 本館7階
電話:089-948-6519