万葉集と道後温泉

更新日:2021年2月17日

万葉集(まんようしゅう)と道後温泉(どうごおんせん)

万葉集(まんようしゅう)は、日本(にほん)で最(もっと)も古(ふる)い歌集(かしゅう)(和歌(わか)が集(あつ)められた本(ほん))で、8世紀(せいき)ころに作(つく)られたといわれています。万葉集(まんようしゅう)には天皇(てんのう)や貴族(きぞく)をはじめ、様々(さまざま)な身分(みぶん)の人(ひと)が詠(よ)んだ歌(うた)が4500首(しゅ)以上(いじょう)集(あつ)められており、道後温泉(どうごおんせん)にかかわる歌(うた)がおおくとりあげられています。

額田王(ぬかたのおおきみ)の和歌(わか)

今(いま)から約(やく)1350年前(ねんまえ)の西暦(せいれき)661年(ねん)、斉明天皇(さいめいてんのう)は戦(いくさ)のため九州(きゅうしゅう)に向(む)かう際(さい)、潮待(しおま)ちのために道後(どうご)に2か月(げつ)余(あま)りとどまりました。このとき、有名(ゆうめい)な「熟田津(にぎたつ)の歌(うた)」が詠(よ)まれました。

熟田津(にぎたつ)に船乗(ふなの)りせむ(ん)と月待(つきま)てば潮(しお)もかなひ(い)ぬ今(いま)は漕(こ)ぎ出(い)でな

作者(さくしゃ)はお供(とも)をしていた額田王(ぬかたのおおきみ)ともいわれ、戦(いくさ)に向(む)かうための出港(しゅっこう)に際(さい)し、兵士(へいし)をはげまし、必勝(ひっしょう)を祈願(きがん)する格調高(かくちょうたか)い歌(うた)で、万葉集初期(まんようしゅうしょき)の代表作(だいひょうさく)となっています。

口語訳(こうごやく)

熟田津(にぎたつ)で船出(ふなで)をしようと月(つき)の出(で)を待(ま)っていると、月(つき)ものぼってきたし、潮(しお)の満(み)ちぐあいも船出(ふなで)をするのにちょうど良(よ)くなった。さあ、今(いま)は漕(こ)ぎでよう。

山部赤人(やまべのあかひと)の長歌(ちょうか)および反歌(はんか)

山部赤人(やまべのあかひと)は、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)と並(なら)び称(しょう)される有名(ゆうめい)な万葉歌人(まんようかじん)で、聖武天皇(しょうむてんのう)にお供(とも)して、富士山(ふじさん)など名勝(めいしょう)の地(ち)を巡(めぐ)り、歌(うた)を詠(よ)んでいます。
有名(ゆうめい)な和歌(わか)に「田子(たご)の浦(うら)ゆうち出(い)でてみれば真白(ましろ)にそ富士(ふじ)の高嶺(たかね)に雪(ゆき)は降(ふ)りける」などがあります。

道後(どうご)は今(いま)から約(やく)1300年前(ねんまえ)の西暦(せいれき)713年(ねん)に赤人(あかひと)が訪れた、最(もっと)も西(にし)の地(ち)です。
赤人(あかひと)は、聖徳太子(しょうとくたいし)の碑文(ひぶん)や歴代天皇(れきだいてんのう)の行幸(ぎょうこう)(訪問(ほうもん)のこと)を懐(なつ)かしみ、歌(うた)を詠(よ)んでいます。

山部赤人の長歌
湯釜に刻まれている山部赤人の長歌です

口語訳(こうごやく)

山部赤人(やまべのあかひと) 伊予(いよ)の温泉(ゆ)に来(き)て作(つく)った歌(うた)一首(いっしゅ) 並(なら)びに短歌(たんか)

歴代(れきだい)の天皇(てんのう)がお治(おさ)めになってきた 日本(にほん)の国(くに)のあちこちに温泉(おんせん)はたくさんあるけれども、その中(なか)でも伊予(いよ)の温泉(おんせん)は、瀬戸内(せとうち)の島々(しまじま)のうるわしいところにあるというので、昔(むかし)、聖徳太子(しょうとくたいし)が来(こ)られ、けわしい伊予(いよ)の高嶺続(たかねつづ)きの伊佐庭(いさにわ)の岡(おか)(現在(げんざい)の道後公園(どうごこうえん))にお立(た)ちになって、歌(うた)をお作(つく)りになり、碑文(ひぶん)の文章(ぶんしょう)をお考(かんが)えになったことがある。
その温泉付近(おんせんふきん)の森(もり)や木立(こだ)ちを見(み)ると、かつて舒明天皇(じょめいてんのう)が行幸(ぎょうこう)された時(とき)の話(はなし)に伝(つた)えられるモミの木(き)は、生(お)い継(つ)いで今も茂(しげ)っている。
また鵤(いかるが)や此米鳥(しめ)が鳴(な)いていて、昔(むかし)に変(か)わらない景色(けしき)である。
このように、たびたび皇族(こうぞく)が来(こ)られたこの温泉(おんせん)は、このまま遠(とお)い後(のち)の世(よ)までも神々(こうごう)しい土地(とち)がらとして栄(さか)えるであろう。

反 歌(はんか)

都(みやこ)から来(き)た公家(くげ)たちが、かつてこの飽田津(にぎたつ)で船(ふね)に乗(の)ったというが、それはもう幾年前(いくねんまえ)のことであろう。昔(むかし)のいろいろなことがなつかしくしのばれる。

道後温泉(どうごおんせん)別館(べっかん) 飛鳥(あすか)乃(の)湯泉(ゆ)の大浴場(だいよくじょう)

道後温泉(どうごおんせん)別館(べっかん) 飛鳥(あすか)乃(の)湯泉(ゆ)の大浴場(だいよくじょう)には、砥部町(とべちょう)を中心(ちゅうしん)に作(つく)られている磁器(じき)「砥部焼(とべやき)」による陶板壁画(とうばんへきが)で、道後温泉(どうごおんせん)にまつわる和歌(わか)の風景(ふうけい)を作(つく)り上(あ)げています。

女性浴室(じょせいよくしつ)(額田王(ぬかたのおおきみ))

飛鳥乃湯泉の女性浴室の写真です
飛鳥乃湯泉 女性浴室

女性浴室(じょせいよくしつ)は、額田王(ぬかたのおおきみ)の歌(うた)にある、熟田津(にぎたつ)の海(うみ)(瀬戸内(せとうち))をイメージし、正面(しょうめん)には額田王(ぬかたのおおきみ)が見(み)たであろう瀬戸内(せとうち)の海(うみ)を表現(ひょうげん)しています。
背面(はいめん)の絵(え)は小舟(こぶね)に乗(の)り、大(おお)きな船(ふね)に乗(の)り換(か)えてこれから大海原(おおうなばら)に旅立(たびた)つ人々(ひとびと)を、側面(そくめん)の絵(え)は海岸(かいがん)にいるハマシギなど浜(はま)の情景(じょうけい)を表(あらわ)しています。

男性浴室(だんせいよくしつ)(山部赤人(やまべのあかひと))

飛鳥乃湯泉の男性浴室の写真です
飛鳥乃湯泉 男性浴室

男性浴室(だんせいよくしつ)は、山部赤人(やまべのあかひと)の歌(うた)にある、伊予(いよ)の高嶺(たかね)・霊峰石鎚山(れいほういしづちさん)をイメージし、正面(しょうめん)には石鎚山(いしづちさん)とそれに続(つづ)く山々(やまやま)を表現(ひょうげん)しています。
背面(はいめん)の絵(え)は山部赤人(やまべのあかひと)がいた伊佐庭(いさにわ)の岡(おか)の動物(どうぶつ)たちを、側面(そくめん)の絵(え)は群(む)れなして飛(と)ぶオシドリなど山(やま)の様子(ようす)を表(あらわ)しています。

プロジェクションマッピング

さらに、陶板壁画(とうばんへきが)にプロジェクションマッピングを投影(とうえい)し、季節(きせつ)の移(うつ)り変(か)わりや時間(じかん)の流(なが)れなどを感(かん)じることができます。
プロジェクションマッピングは、朝(あさ)、昼(ひる)、夜(よる)の3バージョンあり、30分(ふん)おきに放映(ほうえい)されます。

道後温泉(どうごおんせん)別館(べっかん) 飛鳥(あすか)乃(の)湯泉(ゆ)の個室(こしつ)「行宮(かりみや)の間(ま)」

行宮の間の写真です
行宮の間

道後温泉(どうごおんせん)別館(べっかん) 飛鳥(あすか)乃(の)湯泉(ゆ)の個室(こしつ)「行宮(かりみや)の間(ま)」では、今治市(いまばりし)の伝統工芸(でんとうこうげい)である「伊予桜井漆器(いよさくらいしっき)」を用(もち)い、飛鳥時代(あすかじだい)から平安時代(へいあんじだい)にかけて多(おお)くの天皇(てんのう)が道後温泉(どうごおんせん)に行幸(ぎょうこう)されたことをテーマに、その当時(とうじ)見(み)られたであろう道後温泉(どうごおんせん)の情景(じょうけい)を、迫力(はくりょく)ある大(おお)きなサイズの蒔絵(まきえ)で表現(ひょうげん)しています。

お問い合わせ

道後温泉事務所

〒790-0842 愛媛県松山市道後湯之町4-30(冠山事務所)

電話:089-907-5554

E-mail:dogojimu@city.matsuyama.ehime.jp

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