万葉集と道後温泉(特集記事)
更新日:2019年9月29日
万葉集について
万葉集は、日本で最も古い歌集で、8世紀ころに作られたといわれています。
万葉集には天皇や貴族をはじめ、様々な身分の人が詠んだ歌が4500首以上集められていますが、万葉集に登場する温泉地は、道後温泉、有馬温泉、白浜温泉の日本三古湯をはじめ、全国5か所しかありません。
額田王 の和歌
額田王の和歌をイメージした絵です
今から約1350年前の西暦661年、斉明天皇は戦のため九州に向かう際、潮待ちのために道後に2か月あまりとどまりました。このとき、有名な「
作者はお供をしていた額田王ともいわれ、戦に向かうための出港に際し、兵士をはげまし、必勝を祈願する格調高い歌で、万葉集初期の代表作となっています。
和歌
口語訳
熟田津で船出をしようと月の出を待っていると、月ものぼってきたし、潮の満ちぐあいも船出をするのにちょうど良くなった。さあ、今は漕ぎでよう。
山部赤人 の歌および反歌
有名な和歌に「
道後は今から約1300年前の西暦713年に赤人が訪れた、最も西の地です。
赤人は、聖徳太子の碑文や歴代天皇の行幸を懐かしみ、歌を詠んでいます。
湯釜に刻まれている山部赤人の長歌です
長歌及び反歌
山部宿祢赤人至伊予温泉作歌一首並短歌
皇神祖之 神乃御言及敷座 国之尽 湯者霜 左波爾雖在 島山之 宜国跡 極此疑 伊予能高嶺乃 射狭庭乃 崗爾立之而 歌思 辞思為師 三湯之上乃 樹村乎見者 臣木毛 生継爾家里 鳴鳥之 音毛不更 遐代爾 神左備将往 行幸処
返歌
百式紀乃 大宮人之 飽田津爾 船乗将為 年之不知久
※ホームページ表示のため、簡易な漢字に一部変換しています。
口語訳
歴代の天皇がお治めになってきた 日本の国のあちこちに温泉はたくさんあるけれども、その中でも伊予の温泉は、瀬戸内の島々のうるわしいところにあるというので、昔、聖徳太子が来られ、けわしい伊予の高嶺続きの伊佐庭の岡(現在の道後公園)にお立ちになって、歌をお作りになり、碑文の文章をお考えになったことがある。
その温泉付近の森や木立ちを見ると、かつて
また
このように、たびたび皇族が来られたこの温泉は、このまま遠い後の世までも神々しい土地がらとして栄えるであろう。
反歌
都から来た公家たちが、かつてこの
道後温泉別館 飛鳥 乃 湯泉 の大浴場
道後温泉別館
女性浴室(額田王)
飛鳥乃湯泉 女性浴室
女性浴室は、
背面の絵は小舟に乗り、大きな船に乗り換えてこれから大海原に旅立つ人々を、側面の絵は海岸にいるハマシギなど浜の情景を表しています。
男性浴室(山部赤人)
飛鳥乃湯泉 男性浴室
男性浴室は、山部赤人の歌にある、伊予の高嶺・霊峰石鎚山をイメージし、正面には石鎚山とそれに続く山々を表現しています。
背面の絵は山部赤人がいた
プロジェクションマッピング
女子浴室のプロジェクションマッピング
男子浴室のプロジェクションマッピング
さらに、
プロジェクションマッピングは、朝、昼、夜の3バージョンあり、30分おきに放映されます。
道後温泉別館 飛鳥 乃 湯泉 の個室「行宮 の間」
行宮の間
道後温泉別館
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道後温泉事務所
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