平成24年1月4日 平成24年仕事始めの式における市長挨拶

更新日:2012年3月1日

 皆さん、新年明けましておめでとうございます。年末年始に仕事をされた方、大変お疲れさまでございました。また、多くの職員の皆さんは、ご家庭でご家族の方と一緒に英気を養われたことと思います。また、今日新たな気持ちでこの日を迎えていらっしゃると思います。本年も前向きに、また市民の笑顔のために、一緒に頑張ってまいりたいと思います。

 さて、正月には毎年、箱根駅伝が行われます。大変多くの方が見られる、そして夢中になる箱根駅伝でありますけれども、ルールを考えてみると非常に単純であります。決められた距離を走る。そしてたすきをつなぐ。しかし、あの単純な箱根駅伝に人々が夢中になるのはなぜでしょうか。それは一所懸命だからです。一所懸命が伝わってくるからです。おそらく、応援をして帰路に着かれた方は、「自分もあの元気を見習って、あの勇気を見習って、あの頑張りを見習って、また仕事を頑張っていこう、日々の生活を頑張っていこう」と思っていらっしゃると思います。一所懸命は伝わるんだということを、皆さん心に置いておいてください。

 それでは、改めて昨年1年間を振り返ってみたいと思います。私は「一人でも多くの人を笑顔に 全国に誇れる、わがまち松山」をキャッチフレーズに、笑顔をキーワードにした7つの公約を掲げてまちづくりに取り組んでまいりました。併せて、スタンスとしては、「現地や現場の声を大切にするんだ」、そして「市民目線で物事を判断するんだ」ということで、市民の皆さんの生の声を大切にし、そして、たくさんのアイデアをいただきながら、また、その声を基にサービスを改善してまいりました。

 まず、就任後いち早く着手しましたタウンミーティング。これまでに15地区を回らせていただいております。市民の皆さんの声を直接お聴きするとともに、市としての考え方もお伝えしてまいりました。その中では、鹿島賑わい活性化事業、有害鳥獣の捕獲事業の拡大、そして堀江港のにぎわい再生事業など、すでに事業化できたものもございます。今後とも引き続き、このタウンミーティングを通して、市民の皆さんとしっかりと向き合い、そして話し合っていきたいと思いますので、皆さんもこれまでに増して、肝に銘じていただきたいと思います。

 また、台湾との観光交流、そして首都圏や大阪、名古屋、札幌など、消費人口の多い都市部に出向きまして、農林水産物のPR、観光のPR、企業誘致など、戦略的なトップセールスで大きな成果を上げることができたと思っております。また、子どもたちのコミュニケーション能力の向上を図るスクールミーティング、地域の方々に協力いただきながら進めている保育所や幼稚園の園庭の芝生化、小中学校に設置をしておりますAEDの増設、そして、県内の市でいち早く子宮頸がん等のワクチン接種を実施しました。また、個別妊婦歯科健診の全額助成を開始するとともに、9月からは入院費の無料化を小学校3年生まで拡大するなど、本市の宝であります子どもたちの笑顔につながる取り組みを強化してまいりました。これらはいずれも私の公約に対して、皆さんが真摯に対応した結果でありまして、1年の成果として一定の目標をクリアできたのではないかと考えております。

 このような中、やはり忘れることができないのは昨年3月11日に発生した東日本大震災であります。私はあの日、出張先の東京で震度5の強い揺れを感じ、結局羽田空港で一夜を明かすことになりました。改めて自然の脅威と、毛布1枚のありがたさを実感いたしました。

 本市においても震災発生直後から、被災地支援本部を立ち上げまして、緊急消防援助隊の方に行っていただきました。給水隊の方にも行っていただきました。保健師の方々にも行っていただきました。また、罹災証明の発行業務にあたる職員の派遣や支援物資の提供なども行いました。私自身も6月に宮城県南三陸町に出向き、自治体の長として、市民の皆さんの生命や財産を守ること、これがいかに重要であるかを再認識したところであります。今回の経験を一過性のものに終わらせることなく、異例の年度途中の11月ではありましたけども、危機管理担当部長を配置いたしまして、本庁舎内に、常設の災害対策本部を設置するなど、災害対応体制の抜本的な見直しを図ったところです。

 また、言葉を大事にしたまちづくりを更に進めてまいりました。これまでは市内電車で、「だから、ことば」大募集の優秀作品を表示したラッピング電車がありましたけれども、郊外電車や松山空港と道後温泉を結ぶリムジンバスにも広がりを見せております。そして、「この街で」は、JR松山駅の列車到着メロディー、そして伊予鉄道の松山市駅の電車出発メロディーとして採用されるなど広がりを見せております。また、「地産知招」(ちさんちしょう)の新たな取り組みとして、10月にはえひめ・まつやま産業まつりを開催いたしまして、10万人の人出、経済効果約2億9千万円を記録することができました。こうした取り組みをこれからもしっかりと継続していきたいと思っております。

 さて、それでは今年1年の取り組みについて皆様にお話しいたします。これまで松山市は『坂の上の雲』のまちづくりを進めてまいりました。3年前、2年前、そして去年と、NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の放送が終わりました。今年からは『坂の上の雲』のまちづくりを継承し、「たからみがき」のまちづくりを進めます。宝というと、「宝探し」と続くことが多いと思います。この松山においては、宝探しはもう大方終わっています。宝は見つかっております。

国においては、その借金が1千兆円に迫ると言われております。当然のことながら、地方財政に渡ってくるお金が、これから増えることはおそらく考えにくい。大金を使って何かを作るという時代ではない。我々がすべきことは、この松山にある宝を磨くことであります。「たからみがき」、この6文字にはそれぞれに意味があります。何を磨いていくのか。「た」は、「旅の魅力」を磨いていくことです。これまで『坂の上の雲』のまちづくりを観光誘客テーマと重ねて行ってまいりました。平成23年の松山へのお客様の数は今集計をしているところでありますけども、おかげさまで平成22年は63万人増えて、588万人になりました。今、我々が旅で掲げておりますのは、「瀬戸内・松山構想」であります。皆さんにまず、瀬戸内のことについて胸を張っていただきたい。これは観光の職員さんはよくご存知だと思いますけれども、全職員に浸透させるために瀬戸内のことについて述べさせていただきます。

 ドイツの地理学者リヒトホーフェンという方がいらっしゃいます。この方は、皆さんよく知っている、あのシルクロードの命名者であります。世界を知っている方です。この方が明治元年に瀬戸内海を訪れました。明治元年というと、あの秋山好古さん、真之さん、そして正岡子規さんがまさに生きていた時代です。明治元年にリヒトホーフェンさんがこの瀬戸内海を訪れ、「こんな広大で優美な景色は世界のどこにもないであろう。いずれこの景色は世界の人に紹介をされ、称賛されるであろう。」といった言葉を残しています。

 そしてもう一人。イギリスの実業家でトーマス・クックという方がいらっしゃいます。この方は有名な旅行代理店、トーマス・クック・グループを作った方で、近代ツーリズムの祖と言われている方です。この方は明治5年に瀬戸内海を訪れ、「私はヨーロッパのいろんな湖に行ったけれども、その全ての湖を集めたぐらいの景色である。ここはすばらしい。」といった話を後世に残しています。

 そんな瀬戸内海が、今まで観光の中で生かされていたかというと、生かされていませんでした。それはなぜか。これまでは中国地方は中国地方、四国地方は四国地方という行政ブロックで動いていたために、瀬戸内海は中国地方と四国地方を隔てる海でしかなかったからです。ここに松山市は目を付けました。広島から松山までフェリーだと3時間で、ちょっと時間がかかり過ぎますので、スーパージェットを使う。そして安い料金を提示してもらう。宮島、広島、呉、松山。途中下船できるようにする。これが新商品、「瀬戸内はいくるーず」という商品になりまして、昨年の10月から販売をしておりますけども、おかげさまで好評であります。その証として今年の4月、5月、6月とJR西日本、JR四国が主体となって重点送客キャンペーンを行うんですけども、その場所として瀬戸内・松山が選ばれました。この「瀬戸内はいくるーず」、俳句のまちですから、「はいく」という文字が入っております。私自身、「瀬戸内はいくるーず」を携えて、全国の旅行事業者、交通事業者に、挨拶ではなく、まさに商談を重ねていきます。そして2年後、瀬戸内海国立公園が80周年を迎えます。また、この年は道後温泉本館ができて120周年の年にも当たります。ここに照準を合わせていきたいと思っております。

 また、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」でお客様が増えたように、またその前の大河ドラマ「龍馬伝」でも高知にお客様が増えました。このように大河ドラマを見て動く層というのがいらっしゃいます。今年の大河ドラマのテーマは「平清盛」であります。舞台は瀬戸内。これは松山にとって幸運でありました。舞台が北海道や南九州であるならば、なかなか手出しができなかった。松山にとっては今年の大河ドラマで瀬戸内が舞台であるというのはまさに幸運であったと言えます。そして主役は松山ケンイチさんであります。不思議なご縁を感じております。この「瀬戸内・松山構想」をしっかりと磨いていきたいと思っております。

 あと、時間の都合もございますので、「か」、「ら」、「み」、「が」、ちょっと時間を短縮しながらお話をさせていただきます。「か」は「風早レトロタウン構想」であります。次に「ら」。「ら」の付く日本語はなかなかありません。島を意味するランド。「愛ランド里島構想」、中島を磨いていく。「み」、「三津の朝市活性化」であります。「が」は「街路整備」であります。市街地の道路、街路整備。花園町を磨いていきたい。堀之内に良い芝生の公園ができました。そして交通の結節点である松山市駅。松山市駅から全て続いていきます。銀天街、大街道、きれいになったロープウェー街、平和通りに出て県民文化会館の前には、東側に俳句の道。俳句の道を進んで、にきたつの道ときれいな川の流れ、道後のアーケード商店街につながります。そして道後温泉本館。堀之内からつなぐと、これは約4キロの良いウォーキングコースになります。医療費の増大を防いでいきたい。そのためには歩いて暮らせるまちづくりをすることが大切です。国民一人一人が1日3千歩、歩数を伸ばしていただいたら、国においては2千7百億円の医療費が削減できると言われております。例えば、花園町の東側のアーケードは40年を経過しております。歩いて暮らせるまちづくりをするために、この花園町をまた魅力アップすることができたら、堀之内から道後温泉に続くすばらしいウォーキングコースは、中心商店街を通りますので、地域経済の活性化にもつながるものと思っております。

 「風早レトロタウン構想」にしても、「愛ランド里島構想」にしても、「三津の朝市活性化」にしても、「街路整備」にしても、市民の皆さんと一緒に話し合いながら、知恵を出していきながら取り組みをしてまいりたいと思っています。最後に「き」は、「気持ち」であります。まさに大事なのは、この松山に対して愛着や誇りを市民の皆さんに持っていただくこと、前向きな気持ちを持っていただくことであります。

 再度申し上げます。松山は宝探しはもう大方終わっています。宝はあるんです。前向きな気持ちを持っていただくこと。松山は雨が少ない、そう文句を言っているだけでは何も始まりません。雨が少ないのではなくて、逆に考えると太陽光がさんさんと降り注ぐまち。そう考えて松山サンシャインプロジェクトができています。太陽光発電、クリーンエネルギーに相応しいまちであります。前向きな気持ちを持つといろんな取り組みができます。これから松山がすべきことは重ねて申し上げますが、「たからみがき」のまちづくりであります。

 最後に『坂の上の雲』のまちづくりを、これまでやってまいりましたけれども、その理念は消えたわけではありません。厳しい財政です。取り巻く環境も厳しいです。そんな厳しい中、楽な下り坂ではありません。『坂の上の雲』というのは、しんどい上り坂、その向こうにある一朶の雲、目標に向かって共に歩んでいこうという、『坂の上の雲』の理念は残ります。さぁ皆さん、一緒に手を携えて一朶の雲、目標に向かって進んでいこうではありませんか。私もこの1年、また全力で駆け抜けてまいります。一所懸命は伝わります。皆さんのお力添えをいただけることを祈念して、私の挨拶を終わらせていただきます。今年1年、また一所懸命、頑張ってまいりましょう。

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