平成31年1月15日(火曜日)から、保存修理工事が始まりました。
工事中も外観全体を覆ってしまうことはなく、写真撮影ができるように、必要最低限の囲いで工事を進めていく予定です。
このページは、学校などでの調べ学習のため、工事開始前の様子をそのまま残していますので、ご注意ください。
道後温泉本館の正面
ここが入口。「道後温泉」の看板がお出迎え。
本館を正面から見ると、左に三層の神の湯、右手に二層の南棟が見えます。
振鷺閣の白鷺も見えるよ。
「道後温泉」の看板が登場したのは、意外に新しく昭和25年で、映画のロケで道後温泉だと分かるものが必要となり、急いで作られたのがはじまりです。
作者は村田英鳳氏で、現在のものは昭和61年に作られた二代目です。
道後温泉本館の正面右手
二階の「すだれ」の向こうは霊の湯の休憩室です。
夏場(6~9月)には、「すだれ」がかかる本館の休憩室。
南棟の二階は、「霊の湯」の休憩室です。
まわりにあるガス燈は全部で7本、本館100周年を記念して立てられました。
道後温泉本館の後ろ側
こちら側から見えるのは、又新殿と霊の湯です。
三層の屋根がある部分は、皇室専用の浴室「又新殿」の入口です。
明治から昭和まで、皇室の方々のご入浴は10回ありました。
- 「又新殿の玄関」
- 皇室の方々は、この御成門から中へ入りました。
- 龍や鳳凰など立派な屋根瓦にも注目!
桧皮葺の屋根
- 「桧皮葺の屋根」
- 本館の屋根の青い銅板の部分は、「桧皮葺」だったところです。
- 又新殿にはその一部が残っています
本館東側広場
位置図
- 本館東側に休憩所・トイレ・駐輪場等が設置されています。
道後温泉本館の正面左手
明治時代は、こちらが正面玄関でした。
北側一階にある三つの入口は当時のなごり。
向かって左から「一の湯」、「二の湯」、「三の湯」と呼ばれる浴室に続いていました。
振鷺閣の上で羽を広げる白鷺も、北を向いています。
振鷺閣
- 神の湯の塔屋にあたる部分が、振鷺閣。明治27年(1894年)に振鷺閣が建てられた際、その障子窓には和紙ではなく、当時まだ珍しかった赤いギヤマンを取り入れ、また神の湯の客室の窓や各浴室の引き戸にも、色違いのギヤマンがはめ込まれていました。
ギヤマンが見られるのは、今では振鷺閣だけですが、100年以上もの間、変わることなく道後の街を照らし続けています。 - 振鷺閣の中には太鼓がつり下げられていて、1日に3回打ち鳴らされ、「刻太鼓」と呼ばれています。
この刻太鼓は本館ができた明治27年当初から続いていて、平成8年7月1日に、当時の環境庁の「残したい日本の音風景100選」に選ばれています。
太鼓の音を聞いてみたい人は、朝6時、正午、夕方6時に来てみてください。
玉の石
- 道後温泉には、大国主命が病気の少彦名命を湯につけたところ、あっという間に回復したという玉の石(たまのいし)にまつわる伝説があります。
- この石の上で、元気になった少彦名命が踊ったそうで、上にあるくぼみは、その時の足跡だといわれています。