市章

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松山市市章

下村為山(しもむらいざん) 

 

 明治15年に上京、洋画を本多錦吉郎に、ついで小山正太郎の門に入り、不同舎の四天王として中村不折とその技を競った。明治美術会では森鴎外にも注目され、将来を嘱目された。
内藤鳴雪の従弟にあたり、常盤会の鳴雪を訪ね、二歳年少の正岡子規とも親しくなり、明治26年子規の俳句革新運動には牛伴と号して熱中した。子規選「俳諧十六家」に、牛伴は選ばれ、肖像画など、牛伴画・子規句の「一画一句帖」などの俳句は子規に評価された。
 一方、子規と画論を闘わし、日本画の欠点を指摘するなど子規の写生論深化にも貢献した。
 子規没後、地方をまわり、肖像画や洋画を描くのみならず、子規らと励んだ俳句趣味が甦り、俳画を研究。自ら新鮮な感覚で句と応じた画境を啓示し、大正4年東京に帰り、51歳にして家庭も持った。
 終戦後、長野へ、自宅が空襲焼失し、富山へ疎開し、84歳で没す。

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