松山市名誉市民 柳原極堂
更新日:2012年3月1日
柳原極堂 (1867~1957)
柳原極堂(やなぎはらきょくどう)
慶応3年2月11日、松山城下北京町にて生まれる。本名「正之」。俳聖と謳われた正岡子規とは同い年。
明治14年に松山中学に入学、後に子規と謀って中退。明治16年上京して、明治22年、共立学校(後の開成中学)を卒業して帰松。海南新聞社に記者として入社した。
明治29年、子規から号を「極堂」とするよういわれ、 以後これに従った。
明治30年、子規と共に月間俳誌「ほととぎす」を創刊。その後、海南新聞の編集長になり、松山市会議員にも四度選ばれる。
明治39年には伊豫日々新聞を再刊して社長になり、20年間新聞発行を続ける。氏の生涯は子規研究およびその顕彰に捧げられた。
昭和32年に松山市名誉市民の称号を贈られる。
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