松山市名誉市民 景浦稚桃
更新日:2012年3月1日
景浦稚桃 (1875~1962)
景浦 稚桃(かげうら ちとう)
明治8年7月12日 松山北夷子町に生まれる。稚桃と号す。本名「直孝」。松山高女、北予中学教諭を歴任する傍ら、大正三年西園寺源透、曽我部一郎らと伊予史談会を創立し、郷土史研究と先人の遺徳顕彰につとめた。
昭和3年、河野通冶贈位問題が起こったとき上京して政府の調査の粗漏をつき、伊予史研究の成果をひろく知らせたのは有名。「伊予史精義」「土居得能勤王史」「伊予文化史の研究」「伊予史論考」など数多くの著書がある。晩年は伊予史談会名誉会長、松山子規会長をつとめた。愛媛県教育文化賞を受け、昭和35年1月に松山市名誉市民の称号を贈られた。