坂の上の雲は作家・司馬遼太郎さんの代表作のひとつです。松山出身の正岡子規・秋山好古・秋山真之という3人の若者が主人公となっています。
物語では、彼らが新しい日本の国づくりに尽くし、またそれにふさわしい文化を育むために努力をする姿が生き生きと描かれています。
正岡子規(まさおか しき)
武士の家に生まれた正岡子規(幼名:のぼる)は、明治時代になってからも小学校に入るまでずっとちょんまげ姿でした。
少年時代の子規はとても怖がりでしたが、同時にとても好奇心のある少年でもありました。
明治16年、夢を持って上京した子規は、学生時代をとても楽しみました。
大学を途中でやめてしまいましたが、その後新聞記者となり、同時に俳句や短歌の活動を行いました。
子規の一生は35年という短いものでしたが、その人生は今の日本文学に大きな影響を与えました。
秋山好古(あきやま よしふる)
日露戦争で、当時世界で最も強いと言われた「コサック騎兵団」をたおした秋山好古ですが、幼い頃はとても泣き虫でいつも鼻水をたらしていたようです。
17歳のとき、一人で大阪に出た好古は教師となり、その後、軍人となります。
陸軍に入ってからの好古は「日本騎兵の父」と呼ばれるほど日本騎兵を強くして、陸軍大将にまでなります。
陸軍を辞めた後は、地元松山の北予中学校(現在の松山北高校)の校長になり、教育者としても優れた指導力を発揮しました。
秋山真之(あきやま さねゆき)
少年時代は手のつけられないガキ大将で、毎日ケンカやイタズラばかりしていました。
兄・好古に呼ばれて上京し、親友の正岡子規と同じ学校に入りますが、学費などの問題から海軍に進むことになります。
日露戦争では、連合艦隊参謀として海軍の作戦を担当し、日本を勝利にみちびくために、色々な作戦を考えました。
戦争が終わってからも、たくさんの分野で活躍しましたが、病気のため、51歳という若さで亡くなりました。
『坂の上の雲』のまちづくりは、小説『坂の上の雲』で描かれた松山出身の3人の主人公の『夢』や『理想』や『目標』を持って前向きに行動していく素晴らしさをみんなで感じながら、魅力的なまちづくりを進めていくものです。
そして、物語のある観光地としての魅力を高めるため、フィールドミュージアム(屋根のない博物館)構想をつくりました。これは、松山城周辺をセンターゾーン、道後温泉周辺、松山総合公園周辺、久谷・砥部、三津浜・梅津寺、風早(北条)、忽那諸島を6つのサブセンターゾーン、その他のみどころをサテライトとして、松山全体を一つの博物館にしていくというものです。
市民活動
地域でのさまざまな問題を解決して、みんなが快適な生活を送るために、市民が自分たちでできることをしている活動があります。たとえば、○○川を守る活動や、子育てをお母さんたちで支える活動、動物の飼い方を正しく教えて人間とペットが住みやすい環境を作る活動などです。松山市では、それらの市民の活動に対して、相談窓口を置いたり、活動方法のアドバイスや活動のお金の支援などを行っています。
地域におけるまちづくり
子どもからお年寄りまで、だれもが楽しく、仲良く暮らせるまち。このまちに生まれ育ったことを誇らしく思い、いつまでもこのまちに暮らしたいと思う。…そんな「しあわせな暮らし」をつくっていくには、お隣やご近所の助け合い、話し合いの仕組みがとても大切です。その仕組みづくりの大切さを市民のみなさんに伝えたり、また、直接、お手伝いしたりするのが私たちの仕事です。
メダル
松山市のために貢献した人や市民の手本となる人に対して表彰を行っています。