
『坂の上の雲』っていう 小説を聞いたことがありますか?
この小説は作家の司馬遼太郎さんが、松山出身の正岡子規と秋山好古、真之兄弟の3人を主人公に、「夢」「理想」「目標」を持って、前向きに行動する生き方を描いた明治時代の物語です。
今、松山市はこの精神をもとに個性のある魅力的なまちを目指し、さまざまな事業を進めています。その一つに「フィールドミュージアム構想」があります。これは松山を一つの博物館として考え、松山城を中心とする「センターゾーン」と、道後温泉、松山総合公園、三津浜・梅津寺、久谷・砥部、風早、忽那諸島の6つの「サブセンターゾーン」や「サテライト(地域の資源)」を結び、物語性があって、観光できるまちを作ろうとするものです。
「坂の上の雲」の登場人物
明治の初め、松山藩の下級武士の秋山家に好古・真之の兄弟がいました。
兄の好古は、大阪に無料の学校があると聞いて師範学校に入学しましたが、陸軍士官学校の騎兵科に進みます。
弟の真之は、小学校時代からの親友の正岡子規とともに、大学予備校に進み一緒に下宿生活を送りました。子規と過ごすうちに文学の道にひかれますが経済的理由で海軍兵学校へ進みます。
明治27年日清戦争が起こり秋山兄弟はそれぞれ陸海軍で活躍。新聞「日本」に入社した子規は、従軍記者(軍隊に従って戦地に行き取材すること)として戦地に向かいます。しかし無理がたたって肺結核が悪化。真之が、アメリカに留学し戦略と戦術を研究している間、子規は長くない命を俳句に続いて短歌の革新に取組みましたが、明治35年に亡くなりました。
明治37年、日露戦争が始まり山場の奉天会戦で、好古はコサック騎兵隊と戦い勝利を収めました。また日本海海戦では、真之の立てた作戦でロシアのバルチック艦隊を撃破。奇跡的な勝利を収めました。
Q:ロシア人墓地には何人のロシア兵士が眠っていますか?
Q:正岡子規生誕地の碑がある町は?
Q:秋山兄弟生家跡がある町は?
Q:子規堂があるお寺の名前は?
Q:明教館・資料館がある高校は?
Q:秋山兄弟の銅像が建つ、海水浴でにぎわう町は?
Q:愛媛県ゆかりの偉人を紹介している愛媛人物博物館(県民メモリアルホール)があるセンターは?
A:愛媛県生涯学習センター(上野町)です。
Q:道後の鷺谷墓地にお墓があるのは、騎兵隊の父といわれた秋山○○?
Q:JR松山駅前にある子規の代表的な句碑で、「春や昔○○万石の城下哉」と詠んでいるか?