松山市の歴史とあゆみ

更新日:2020年4月1日

松山市の歴史とあゆみ

古代(こだい)の松山(まつやま)

松山市内(まつやましない)では、たくさんの 遺跡(いせき)が発見(はっけん)されています。特(とく)に知(し)られているのは、昭和(しょうわ)47年(ねん)に発見(はっけん)された古照遺跡(こでらいせき)です。これは4世紀(せいき)古墳時代(こふんじだい)の遺跡(いせき)で古代(こだい)の農業(のうぎょう)や建築(けんちく)のことを知(し)るのにたいへん役(やく)にたちます。また、弥生時代(やよいじだい)から中世(ちゅうせい)にかけて、集落(しゅうらく)があったとされる束本遺跡(つかもといせき)からは建物(たてもの)などの跡(あと)が発見(はっけん)されており、古(ふる)くから集落(しゅうらく)があったことがよくわかります。

飛鳥時代(あすかじだい)の松山(まつやま)

道後(どうご)の湯(ゆ)は昔(むかし)から多(おお)くの人々(ひとびと)が利用(りよう)してきました。飛鳥時代(あすかじたい)には聖徳太子(しょうとくたいし)がやってきたと言(い)い伝(つた)えられています。この時代(じだい)は、仏教(ぶっきょう)が広(ひろ)まり来住廃寺(きしはいじ)をはじめとするお寺(てら)がつくられました。さらに四国(しこく)八十八(はちじゅうはち)ヵ所(かしょ)で有名(ゆうめい)な空海(くうかい)(弘法大師(こうぼうだいし))が中国(ちゅうごく)に行(い)って仏教(ぶっきょう)を勉強(べんきょう)して日本(にほん)に帰(かえ)り仏教(ぶっきょう)を伝(つた)えました。

河野氏(こうのし)の活(かつ)やく

鎌倉時代(かまくらじだい)のころは瀬戸内海(せとないかい)は伊予水軍(いよすいぐん)が力(ちから)をもっていました。水軍(すいぐん)のなかでは河野氏(こうのし)が力(ちから)をもち、南北朝時代(なんぼくちょうじだい)には守護(しゅご)の地位(ちい)についた河野氏(こうのし)は道後(どうご)に湯築城(ゆづきじょう)をつくり伊予(いよ)の国(くに)を支配(しはい)しました。

豊臣秀吉(とよとみひでよし)に敗(やぶ)れる

戦国時代(せんごくじだい)、伊予(いよ)の国(くに)はときどき大友氏(おおともし)や毛利氏(もうりし)、長曽我部氏(ちょうそかべし)から攻撃(こうげき)をされます。そのころ四国(しこく)を手(て)に入(い)れようと豊臣秀吉(とよとみひでよし)の命令(めいれい)で小早川隆景(こばやかわたかかげ)が攻(せ)め、河野氏(こうのし)は湯築城(ゆづきじょう)をあけわたしました。その後(ご)、加藤嘉明(かとうよしあき)が松山城(まつやまじょう)をつくったため湯築城(ゆづきじょう)は姿(すがた)を消(け)していきました。

俳句(はいく)や薪能(たきぎのう)が花開(はなひら)く

1635年(ねん)に松平定行(まつだいらさだゆき)により松山藩(まつやまはん)が誕生(たんじょう)しました。その時代(じだい)、城下町(じょうかまち)はにぎわい、安定(あんてい)した時代(じだい)で、俳句(はいく)や薪能(たきぎのう)などさまざまな文化(ぶんか)が生(う)まれました。

文明開化(ぶんめいかいか)から敗戦(はいせん)

江戸幕府(えどばくふ)が倒(たお)され明治時代(めいじじだい)がはじまり1873年(ねん)には愛媛県(えひめけん)が誕生(たんじょう)しました。位(くらい)の高(たか)い武士(ぶし)などが住(す)んでいたあたりには役所(やくしょ)や銀行(ぎんこう)、企業(きぎょう)などが作(つく)られました。この時代(じだい)に松山(まつやま)に生(う)まれた小説(しょうせつ)『坂(さか)の上(うえ)の雲(くも)』の主人公(しゅじんこう)である秋山好古(あきやまよしふる)・真之兄弟(さねゆききょうだい)と正岡子規(まさおかしき)たちはそれぞれの分野(ぶんや)で活躍(かつやく) しました。その後(ご)、 大正(たいしょう)、昭和時代(しょうわじだい)にかけて日本(にほん)はアジア周辺(しゅうへん)を侵略(しんりゃく)するなど第(だい)2次(じ)世界大戦(せかいたいせん)に入(はい)っていきます。松山(まつやま)はアメリカ軍(ぐん)の空襲(くうしゅう)で焼(や)け野原(のはら)になりました。

21世紀(せいき)、新(あたら)しい松山(まつやま)

焼(や)け野原(のはら)になりましたが、いちはやく復興(ふっこう)にとりかかり、一番町(いちばんちょう)から三番町(さんばんちょう)はビジネス街(がい)として、大街道(おおかいどう)、湊町(みなとまち)は商店街(しょうてんがい)として整備(せいび)が行(おこ)われました。昭和(しょうわ)55年(ねん)には松山(まつやま)は人口(じんこう)40万人(まんにん)を超(こ)え四国(しこく)を代表(だいひょう)する都市(とし)となりました。平成(へいせい)17年(ねん)には北条市(ほうじょうし)、中島町(なかしまちょう)と合併(がっぺい)し、人口(じんこう)51万人(まんにん)を超(こ)えました。

松山市の歴史
時代(じだい) 西暦(せいれき) できごと
古代(こだい) 約(やく)2万年前(まんねんまえ) 松山平野(まつやまへいや)に人(ひと)が住(す)み始(はじ)める
約(やく)4千年前(せんねんまえ) 松山周辺(まつやましゅうへん)の人口(じんこう)が増(ふ)える。縄文時代(じょうもんじだい)の終(お)わりころ、稲作(いなさく)が伝(つた)わる
紀元後(きげんご) 松山平野一帯(まつやまへいやいったい)に本格的(ほんかくてき)な定住生活(ていじゅうせいかつ)が始まる(文京遺跡(ぶんきょういせき)など)
300年(ねん)ころ 古照(こでら)や久米(くめ)に大(おお)きなムラができる(古照遺跡(こでらいせき)・福音小学校遺跡(ふくおんしょうがっこういせき))
596年 聖徳太子(しょうとくたいし)、道後温泉(どうごおんせん)を訪(おとず)れ、記念(きねん)の石碑(せきひ)を建(た)てる
平安(へいあん) 804年 空海(くうかい)(弘法大師(こうぼうだいし))が唐(とう)に留学(りゅうがく)。帰国後(きこくご)、真言宗(しんごんしゅう)を開(ひら)く
940年(ねん)ころ 藤原純友(ふじわらのすみとも)、海賊(かいぞく)を集(あつ)めて反乱(はんらん)を起(お)こす
1185年 河野通信(こうのみちのぶ)、源義経(みなもとのよしつね)を助け壇ノ浦(だんのうら)で平家(へいけ)を破(やぶ)る(伊予水軍活躍(いよすいぐんかつやく))。河野氏(こうのし)の勢力盛(せいりょくさか)ん
鎌倉(かまくら) 1205年

河野通信(こうのみちのぶ)、伊予国(いよのくに)の御家人(ごけにん)32人(にん)を率(ひき)いるようになる

1274年 一遍(いっぺん)、時宗(じしゅう)を開(ひら)く
1281年 河野通有(こうのみちあり)、蒙古軍(もうこぐん)と戦(たた)う(弘安(こうあん)の役(えき))
室町(むろまち) 1336年 このころ、河野通盛(こうのみちもり)、高縄城(たかなわじょう)から道後(どうご)・湯築城(ゆづきじょう)に移(うつ)る
1350年 通盛(みちもり)、伊予国(いよのくに)の守護(しゅご)に命(めい)じられる
1481年 湯築城(ゆづきじょう)を中心(ちゅうしん)に道後地区(どうごちく)が栄(さか)える
1555年 河野氏(こうのし)、広島県(ひろしまけん)、厳島(いつくしま)の合戦(かっせん)を機会(きかい)に毛利氏(もうりし)に接近(せっきん)
安土(あづち)・桃山(ももやま) 1585年 河野氏敗(こうのしやぶ)れ、長宗我部氏(ちょうそかべし)は四国全土(しこくぜんど)に力(ちから)を延(の)ばす
1585年

秀吉(ひでよし)が四国(しこく)を攻(せ)め、毛利軍(もうりぐん)3万(まん)、伊予(いよ)に攻(せ)め入(い)る。
湯築城(ゆづきじょう)開城(かいじょう)

1600年 関ヶ原(せきがはら)の戦(たたか)いで加藤嘉明(かとうよしあき)、徳川方(とくがわかた)に従軍(じゅうぐん)し活躍(かつやく)
1602年 勝山(かつやま)で築城工事(ちくじょうこうじ)始(はじ)まる
江戸(えど) 1603年 加藤嘉明(かとうよしあき)、正木(まさき)(松前(まさき))より移(うつ)る(初代松山城主(しょだいまつやまじょうしゅ))
1627年 松山城(まつやまじょう)の工事完成(こうじかんせい)
1635年 松平定行(まつだいらさだゆき)、松山城主(まつやまじょうしゅ)になる
1732年 享保(きょうほ)の大飢饉(だいききん)、松山周辺(まつやましゅうへん)で約(やく)5,000人死亡(しぼう)
1801年 このころ、 鍵谷(かぎや)カナ、「伊予絣(いよかすり)(かすり)」をつくる
1867年 江戸幕府(えどばくふ) 滅(ほろ)ぶ。翌年(よくねん)、明治政府(めいじせいふ)ができる
明治(めいじ) 1871年 廃藩置県(はいはんちけん)で松山藩(まつやまはん)は松山県(まつやまけん)となる
1873年 愛媛県誕生(えひめけんたんじょう)。松山(まつやま)に県庁(けんちょう)を置(お)く
1889年 「 市制(しせい)」施行(しこう)で松山市誕生(まつやましたんじょう)。全国(ぜんこく)で39番目(ばんめ)の市(し)。人口(じんこう)3万(まん)2916人(にん)
1895年 正岡子規(まさおかしき)、愚陀仏庵(ぐだぶつあん)で夏目漱石(なつめそうせき)と生活(せいかつ)する
1905年 伊予鉄道(いよてつどう)の松山(まつやま)-高浜間(たかはまかん)が全通(ぜんつう)。翌年高浜港開港(よくねんたかはまこうかいこう)
大正(たいしょう) 1914年 第1次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)のぼっ発(ぱつ)
1925年 松山商業(まつやましょうぎょう)が第(だい)2回(かい)選抜(せんばつ)中等学校野球大会(ちゅうがっこうやきゅうたいかい)(甲子園(こうしえん))で初(はつ)の全国優勝(ぜんこくゆうしょう)
昭和(しょうわ) 1945年 第2次世界大戦(だいにじせかいたいせん)により戦災(せんさい)を受(う)ける。B-29約(やく)60機(き)が城北地区(じょうほくちく)を爆撃(ばくげき)
1966年 第(だい)1回松山(かいまつやま)おどり開催(かいさい)
1973年 石手川(いしてがわ)ダム完成(かんせい)
1975年 新松山市庁舎(しんまつやましちょうしゃ)(本館(ほんかん))ができあがる
1981年 アメリカのサクラメント市(し)と 姉妹都市(しまいとし)となる
1988年 西(にし)ドイツのフライブルク市(し)と姉妹都市(しまいとし)となる
平成(へいせい) 2001年 芸予地震(げいよじしん)に見舞(みま)われる
2001年 坊(ぼ)っちゃん列車(れっしゃ)が約半世紀(やくはんせいき)ぶりに復活(ふっかつ)
2002年 松山城(まつやまじょう)400年祭記念(ねんさいきねん)イベント開催(かいさい)
2002年 プロ 野球(やきゅう)オールスターゲームが坊(ぼ)っちゃんスタジアムで開催(かいさい)
2004年 韓国(かんこく)・平澤市(ぴょんてくし)と友好都市(ゆうこうとし)となる
2005年 松山市(まつやまし)に北条市(ほうじょうし)・中島町(なかじまちょう)が編入合併(へんにゅうがっぺい)
2006年 小説(しょうせつ)「坊(ぼ)っちゃん」発表(はっぴょう)100年記念(ねんきねん)イベント開催(かいさい)
2007年 坂(さか)の上(うえ)の雲(くも)ミュージアム開館(かいかん)
2007年 道後温泉本館周辺整備(どうごおんせんほんかんしゅうへんせいび)の完了(かんりょう)
2009年 市政施行(しせいせこう)120周年記念式典(しゅうねんきねんしきてん)を挙行(きょこう)
2009年 スペシャルドラマ「坂(さか)の上(うえ)の雲(くも)」放送開始(ほうそうかいし)

2010年

松山島博覧会(まつやましまはくらんかい)(しまはく)開催(かいさい)

2014年

道後温泉本館改築(どうごおんせんほんかんかいちく)120周年(しゅうねん)イベント
「道後(どうご)オンセナート2014」開催(かいさい)

2014年 台湾(たいわん)の台北市(たいぺいし)と友好交流協定調印(ゆうこうこうりゅうきょうていちょういん)
2015年 一番町大街道口(いちばんちょうおおかいどうぐち)リニューアル
2016年 松山圏域(まつやまけんいき)2市(し)3町(ちょう)と連携協約締結(れんけいきょうやくていけつ)
2017年 子規(しき)・漱石生誕(そうせきせいたん)150年記念事業実施(ねんきねんじぎょうじっし)
2017年

第(だい)72回国民体育大会(かいこくみんたいいくたいかい)・
第(だい)17回全国障害者(かいぜんこくしょうがいしゃ)スポーツ大会開催(たいかいかいさい)

2017年 道後温泉別館(どうごおんせんべっかん) 飛鳥(あすか)乃(の)湯泉(ゆ)オープン
2019年 道後温泉本館(どうごおんせんほんかん) 保存修理工事(ほぞんしゅうりこうじ)に着手(ちゃくしゅ)
2019年 松山市(まつやまし)・フライブルク市姉妹都市提携(ししまいとしていけい)30年(ねん)

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シティプロモーション推進課

〒790-8571 愛媛県松山市二番町四丁目7-2 本館5階

電話:089-948-6705

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