プロフィール
本名 |
正岡 常規 (ニックネーム=のぼさん) |
生涯 |
1867年から1902年 |
性格 |
新しいものが好き・好奇心旺盛・楽天家・正直・情熱家・ユーモア |
気になること |
世の中にいっぱい |
趣味 |
雑誌(小説)作り・政治演説・批評すること・絵を描くこと・文学全般・食べること・ベースボール・俳句 |
生きざま |
松山が大好きだった・人一倍勉強した・友達を大切にした・みんな(仲間)と力を合わせた・自分自身を大切にした・人のまねをせず自分に正直に生きた・文学の道を切り開いた・不治の病にも負けなかった |

松山に初めてベースボールを紹介したのは“のぼさん”と言われています。18歳のころにはすでにベースボールに親しみその後ベースボールからヒントを得て自分のペンネームを「のぼーる(野球)」とするほど熱中しました。“のぼさん”が訳した、打者・走者・飛球など現在、使われているものもあります。

“のぼさん”は俳人(俳句を作る人)として、また俳句や短歌の研究者としても大きな業績を残しました。室町時代ころからの俳句を集めて書き直し、季語や物事別にまとめました。これほどの研究は今でも“のぼさん”以外は誰もやっていません。
Q:初めて作った俳句を教えてください。
A:のぼさんが明治18年1月8日、友人の竹村鍛に送った手紙に書かれていた「雪ふりや棟の白猫声ばかり」という俳句が、最初に作った俳句とされています。
Q:生涯でどれだけ俳句を作ったのですか?
A:24,000句以上はあります。
Q:有名な俳句を教えてください。
A:「柿くえば鐘がなるなり法隆寺」はよく知られています。
Q:夏目漱石との出会いを教えてください。
A:二人は明治17年9月に東京大学予備門に入学しました。仲良くなったのは、明治22年のころです。きっかけは、二人とも寄席が好きで、その話からだったようです。
Q:中学時代に友達とどのようなことをしたのですか?
A:皆さんがゲームに夢中になるように、のぼさんたちも競って漢詩(漢字でつづった詩)を作り合っていました。
A:100近くは確認できています。「子規」もその1つです。
Q:どんな新聞記者だったのですか?
A:のぼさんは、今の新聞でいう学芸面を主に担当していた記者だったといえるでしょう。
A:正確にはわかりませんが、18歳のころにはすでにベースボールに熱中しています。
Q:食欲は本当にすごかったのですか?
A:すごかったです。夏目漱石小説「三四郎」に、大きな樽柿を1度に16個食べたと書いています。
Q:なぜ病気で寝たきりになったのですか?
A:のぼさんが病気(結核)になったのは、21歳のころです。その後、日清戦争に記者として従軍したとき、長い船旅に加え、衛生面も悪く帰国の船で大量の血を吐いています。東京に帰ると歩くのも困難になり、脊椎カリエスと診断されました。
Q:どうして博物館(子規博)を作ったのですか?
A:市民のみなさんの要望で、のぼさんをテーマにした博物館をつくろうということになりました。