正岡子規(まさおか しき)

更新日:2012年3月1日

正岡子規

プロフィール
本名(ほんみょう)

正岡(まさおか) 常規(つねのり)
(ニックネーム=のぼさん)

生涯(しょうがい) 1867(ねん)から1902(ねん)
性格(せいかく) (あたら)しいものが()き・好奇心旺盛(こうきしんおうせい)楽天家(らくてんか)正直(しょうじき)情熱家(じょうねつか)・ユーモア
()になること ()(なか)にいっぱい
趣味(しゅみ) 雑誌(ざっし)(小説(しょうせつ))(づく)り・政治演説(せいじえんぜつ)批評(ひひょう)すること・()()くこと・文学全般(ぶんがくぜんぱん)()べること・ベースボール・俳句(はいく)
()きざま 松山(まつやま)大好(だいす)きだった・人一倍勉強(ひといちばいべんきょう)した・友達(ともだち)大切(たいせつ)にした・みんな(仲間(なかま))と(ちから)()わせた・自分自身(じぶんじしん)大切(たいせつ)にした・(ひと)のまねをせず自分(じぶん)正直(しょうじき)()きた・文学(ぶんがく)(みち)()(ひら)いた・不治(ふじ)(やまい)にも()けなかった

松山(まつやま)(はじ)めてベースボールを紹介(しょうかい)したのは“のぼさん”と()われています。18(さい)のころにはすでにベースボールに(した)しみその()ベースボールからヒントを()自分(じぶん)のペンネームを「のぼーる(野球(やきゅう))」とするほど熱中(ねっちゅう)しました。“のぼさん”が(やく)した、打者(だしゃ)走者(そうしゃ)飛球(ひきゅう)など現在(げんざい)使(つか)われているものもあります。

 “のぼさん”は俳人(はいじん)(俳句(はいく)(つく)(ひと))として、また俳句(はいく)短歌(たんか)研究者(けんきゅうしゃ)としても(おお)きな業績(ぎょうせき)(のこ)しました。室町時代(むろまちじだい)ころからの俳句(はいく)(あつ)めて()(なお)し、季語(きご)物事別(ものごとべつ)にまとめました。これほどの研究(けんきゅう)(いま)でも“のぼさん”以外(いがい)(だれ)もやっていません。

正岡子規(まさおかしき)Q&A

Q:(はじ)めて(つく)った俳句(はいく)(おし)えてください。

A:のぼさんが明治(めいじ)18(ねん)1(がつ)8(にち)友人(ゆうじん)竹村鍛(たけむらたん)(おく)った手紙(てがみ)()かれていた「(ゆき)ふりや(とう)白猫(しろねこ)(こえ)ばかり」という俳句(はいく)が、最初(さいしょ)(つく)った俳句(はいく)とされています。

Q:生涯(しょうがい)でどれだけ俳句(はいく)(つく)ったのですか?

A:24,000()以上(いじょう)はあります。

Q:有名(ゆうめい)俳句(はいく)(おし)えてください。

A:「(かき)くえば(かね)がなるなり法隆寺(ほうりゅうじ)」はよく()られています。

Q:夏目漱石(なつめそうせき)との出会(であ)いを(おし)えてください。

A:二人(ふたり)明治(めいじ)17(ねん)9(がつ)東京大学予備門(とうきょうだいがくよびもん)入学(にゅうがく)しました。仲良(なかよ)くなったのは、明治(めいじ)22(ねん)のころです。きっかけは、二人(ふたり)とも寄席(よせ)()きで、その(はなし)からだったようです。

Q:中学時代(ちゅうがくじだい)友達(ともだち)とどのようなことをしたのですか?

A:(みな)さんがゲームに夢中(むちゅう)になるように、のぼさんたちも(きそ)って漢詩(かんし)漢字(かんじ)でつづった())を(つく)()っていました。

Q:いくつペンネームを()っているのですか?

A:100(ちか)くは確認(かくにん)できています。「子規(しき)」もその1つです。

Q:どんな新聞記者(しんぶんきしゃ)だったのですか?

A:のぼさんは、今の新聞(しんぶん)でいう学芸面(がくげいめん)(おも)担当(たんとう)していた記者(きしゃ)だったといえるでしょう。

Q:野球(やきゅう)との出会(であ)いは?

A:正確(せいかく)にはわかりませんが、18(さい)のころにはすでにベースボールに熱中(ねっちゅう)しています。

Q:食欲(しょくよく)本当(ほんとう)にすごかったのですか?

A:すごかったです。夏目漱石(なつめそうせき)小説(しょうせつ)三四郎(さんしろう)」に、(おお)きな樽柿(たるがき)を1()に16()()べたと()いています。

Q:なぜ病気(びょうき)()たきりになったのですか?

A:のぼさんが病気(びょうき)結核(けっかく))になったのは、21(さい)のころです。その()日清戦争(にっしんせんそう)記者(きしゃ)として従軍(じゅうぐん)したとき、(なが)船旅(ふなたび)(くわ)え、衛生面(えいせいめん)(わる)帰国(きこく)(ふね)大量(たいりょう)()()いています。東京(とうきょう)(かえ)ると(ある)くのも困難(こんなん)になり、脊椎(せきつい)カリエスと診断(しんだん)されました。

Q:どうして博物館(はくぶつかん)子規博(しきはく))を(つく)ったのですか?

A:市民(しみん)のみなさんの要望(ようぼう)で、のぼさんをテーマにした博物館(はくぶつかん)をつくろうということになりました。

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