平成29年9月23日 「花園町通り」リニューアル記念式典

更新日:2017年10月4日

 皆様、改めまして、おはようございます。
 皆様方、大変お忙しい中、花園町通りのリニューアル式典に足を運んでいただき、誠にありがとうございます。

 今日は、私の思いを述べさせていただいたらと思います。

 話は、平成23年3月11日のことになります。皆さんご存知のように、東日本大震災が発生いたしました。私はあの日、ちょうど東京に出張しており、東京で震度5強の揺れを感じました。結局、羽田空港のロビーで一夜を明かすという経験を致しました。いわゆる帰宅難民になりました。あの日は、東京でも亡くなった方がいらっしゃいましたので、命があっただけでもありがたいと思っています。
 その後、松山市の支援の窓口は、宮城県の南三陸町と決まりました。南三陸町は、死者が620人、行方不明者が200人を超える大変大きな被害があったところです。
 3カ月後、平成23年6月に、ようやく南三陸町に行くことができました。南三陸町の何もなくなってしまった風景を高台から見て、そこで浮かんできた言葉があります。
「命があるものには役割がある。命があるものは、よいまちを次の世代に受け継いでいかなければならない。」そういった思いが脳裏に浮かんでまいりました。

 この花園町通りの事業が開始されたのは、平成23年7月のことです。その後リニューアルが進んでいきます。ちょうどその頃は、東側のアーケードが老朽化しており、地元の方だけではリニューアルするのは難しく、また、車の通行量は、最盛期に比べるとおよそ半分に減っていました。そして、NTTさんの電線を地中化するというタイミングでもありました。
 街づくりは、皆さんご存知のように、近い3年後や5年後を見越してやるのではなく、遠い30年後、50年後、100年後を見越してやるものですから、最初は少し分かりにくいところがあります。そのため、それが不安になって、そして不満になって、最初は、花園町の方々も、100%が100%、100人が100人賛成ではありませんでした。
 でも、「できるだけ、職員の皆さん、ことあるごとに花園町に足を運んでください。この事業の意味を伝えてください。」と。
 花園町の皆さんが耳を傾けてくださって、そして、皆さんの御努力もあって賛成者が増えてまいりました。
 私も花園町の居酒屋さんで皆さんと一緒に酒を酌み交わしながら、このまちづくりについて話をさせていただいたのも、良い記憶です。
 おかげさまで今のリニューアルに繋がりました。

 良いまちができました。
 歩いてもらいましょう。今、高齢化社会です。どうしても体が不自由になる方も出てまいります。そういった方が、家で閉じこもりになるよりも、歩いていただいた方が回復は早い。そのためには、歩行者道と自転車道はきちんと分ける。
 歩いてもらいましょう。歩いてもらえばすれ違う時に「こんにちは」と声をかけ合います。人と人とが繋がっていきます。
 歩いてもらいましょう。歩いてもらえばウィンドウショッピングという言葉もあるように、「ああ、この店いいな、いいもの売ってるな。」まちの賑わいにも繋がっていきます。
 ぜひ歩いていただきたいと思います。
 
 また、この場所は、正岡子規さんの生誕地です。そういった宝も活かしながら、地元の方々には、大いにこの街を盛り上げていただきたいと思います。私たちもしっかりとサポートしていければと思います。

 工事は、長期にわたりました。花園町の方々には大変不便をおかけしましたが、御理解と御協力をいただき、本当にありがとうございました。
 この花園町通りのリニューアルに、お力を貸していただいた全ての方々に心から感謝を申し上げ、私からのお礼の御挨拶とさせていただきます。
 ぜひとも皆様方と一緒に、良いまちを将来の世代に受け継いでいきたいと思います。
 今日は本当にありがとうございました。

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