夏目漱石(なつめ そうせき)

更新日:2012年3月1日

夏目漱石

プロフィール
本名(ほんみょう) 夏目(なつめ) 金之助(きんのすけ)
生涯(しょうがい) 1867(ねん)から1916(ねん)
肩書(かたが) 小説家(しょうせつか)英文学者(えいぶんがくしゃ)
出身(しゅっしん) 現在(げんざい)東京都新宿区(とうきょうとしんじゅくく)

日本(にほん)代表(だいひょう)する文豪(ぶんごう)。1895(ねん)松山中学校(まつやまちゅうがっこう)現在(げんざい)松山東高校(まつやまひがしこうこう))で英語(えいご)先生(せんせい)をしていました。

()っちゃん

()っちやん」は愛媛県(えひめけん)松山(まつやま)舞台(ぶたい)にした小説(しょうせつ)で、夏目漱石(なつめそうせき)松山中学校(まつやまちゅうがっこう)現在(げんざい)松山東高校(まつやまひがしこうこう))で、1895(ねん)4(がつ)から1896(ねん)4(がつ)まで先生(せんせい)をしていた体験(たいけん)をもとに()かれたと()われています。「()っちやん」以外(いがい)にも「吾輩(わがはい)(ねこ)である」「こころ」など有名(ゆうめい)小説(しょうせつ)をたくさん()いています。

子規(しき)との出会(であ)

漱石(そうせき)正岡子規仲良(なかよ)くなったのは、1889(ねん)二人(ふたり)が22(さい)のころです。二人(ふたり)文学(ぶんがく)(つう)じて交流(こうりゅう)(ふか)まっていき、お(たが)尊敬(そんけい)しあいました。交流(こうりゅう)漱石(そうせき)がイギリスへ留学(りゅうがく)している(とき)子規(しき)脊椎(せきつい)カリエスという病気(びょうき)()くなる1902(ねん)まで(つづ)きました。
 漱石(そうせき)()は、もともと親友(しんゆう)正岡子規(まさおかしき)がたくさんもっていたペンネームのうちの(ひと)つでありましたが、漱石(そうせき)子規(しき)からこれを(ゆず)()けたとも()われています。

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