市花

更新日:2023年9月13日

  • 種類 「ヤブツバキ」
  • 指定年月日 昭和47年3月3日
  • 制定年月日 昭和47年4月1日

選定経緯

 市花の決め方については、昭和46年に市民の皆さんからアンケートをとるとともに、いろいろな会で話し合い、昭和47年1月、「明るい町づくり協力会」役員会で、松山市の花として「椿」が最適であると最終協議で決定されました。そして、同年3月の松山市議会文教民生委員協議会への報告を経て、4月1日に、正式に本市の花になりました。
 また、「伊予国風土記」逸文のなかにも載せられ古くから親しまれていたこともあり、4月1日「椿」を正式に「市花」として制定したものです。

参考(松山市教育委員会発行「伊予路の文化」

 昭和47年、松山市は市花として「つばき」を選んだ。日本原産のこの花は全国いたるところに咲くが、理由は法興6(596)年聖徳太子が道後に行啓され、これを記念して、伊佐爾波岡に立てられたという温泉の碑によるもので、この文章は「伊予国風土記」逸文のなかにも載せられ、我が国最古の金石文として重要なものである。その碑文中「温泉の周囲には椿の樹が茂って温泉を取り囲み、その壮観なことは、実にたくさんのキヌガサをさしかけたようにみえる」という意味の句がある。当時、温泉の周囲には、椿の木が繁茂し、鳥がさえずり、仙境の観を呈していたことがうかがえる。この碑文の由来から「つばき=ヤブツバキ」が選定されたのである。                

「明るい町づくり協力会」からの推薦理由

  1. 松山市の山野及び主な社叢(しゃそう)寺叢(じそう)等自然の中にたくさん生え、市内の至る所で目にとまり、市民に親しまれている。
  2. 椿は厚葉木の意で葉が厚く、丈夫で光沢がある。年中葉があり緑化運動に良い。丈夫な葉とその光沢は人の心身を椿のように丈夫で美しい光を放つという市民のよい心身づくりになる。
  3. 大正時代、昭和天皇が摂政の宮であられた時、松山市温泉郡の小学生が「椿や椿 椿の花は開いた…」の歌で遊戯をしたことがある。それ以後松山市付近の小学生の運動会では椿の踊りは全校一斉によく行われた。すでにその当 時から誰がいうともなく実質的には松山市花になっていたのではなかろうか。
  4. 道後温泉に椿湯あり、石井に椿さんあり、いずれもその名は全国的に知られている。椿さんは縁起のよい神様で市民に幸福をもたらす花である。
  5. 椿の意味は春に先立って開花するということで厳冬の寒さに耐え、早く花を咲かせる強さは市民の花として誠に誇りとすべきである。
  6. 盆栽用としても庭園用としても比較的容易である。ことに挿し木としても栽培できる。又、変種も多く手入れ次第で面白くつくることができ、誰にでも簡単に栽培することが可能である。
  7. 花が大きいものは(小さいものもあるが)開花期は実に偉大であり、「椿や椿 椿の花が開いた」という歌の曙。ずっと広く開いていく様は、大松山市の限りなき発展を意味している。花弁の基部が結着していることは33万市民の団結と共同性によって発展していく姿を象徴しているようである。
  8. 今日の日本の椿といえば京都であろう。松山市も過去(江戸時代)には京都から移入したと聞いているが、今日の京都の椿は愛媛県から再移入したと聞いている。そうした点からも県都松山市が椿を市花に制定していくのは当然ではなかろうか。
  9. 椿は松山市で自生している。

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