子規記念博物館
更新日:2023年7月26日
令和5年度 松山市正規職員【事務職 上級 学芸員(史学)】を募集します
申込み受付、実施要項等は、こちらのページをご確認ください。
「子規記念博物館デジタルアーカイブ」を開設しました
開館40周年の新たな取り組みとして、資料を永続的に保存し後世に伝えること、また、資料の活用拡大を両立させることを目的に、正岡子規の貴重な資料をインターネット上で公開する「子規記念博物館デジタルアーカイブ」を開設しました。
「おうちで子規博」で動画やクイズなどを楽しめます
新型コロナウイルスの感染拡大防止のため自宅で過ごす皆さんに、子規記念博物館を知ってもらい、正岡子規や俳句などに興味を持っていただくため、「おうちで子規博」のコーナーを開設しています。
家で子規記念博物館を紹介する動画やクイズ、オリジナルぬりえなどを楽しめます。
松山市立子規記念博物館について
松山市立子規記念博物館は、正岡子規の世界をとおして、より多くの人びとが松山の歴史や文学に親しみ、理解をふかめていただくために開設された文学系の博物館です。市民の知的レクリエーションや学校の課外学習の場、研究者のための情報機関、また観光客のビジターセンターとして親しまれています。
博物館では現在およそ7万点の実物資料や書籍を収蔵しており、正岡子規の一生を紹介する常設展示のほか、年2~3回の特別展・特別企画展、また各種のイベントを開催しています。
正岡子規について
正岡子規は、慶応3年(1867年)9月17日(新暦:10月14日)、伊予国温泉郡藤原新町(現松山市花園町)で生まれました。翌年が明治元年ですから、子規の年齢は明治の年号と同じになります。本名を
自由民権運動に触発され、政治家をめざして明治16年に上京、第一高等中学校、帝国大学文科大学に進学します。しかし、22歳のときに喀血して「子規」と号したころから真剣に文学を志し、大学を中退して入社した日本新聞社で、俳句や短歌の革新を叫び、新体詩を試み、写生文をとなえました。明治28年からは脊椎カリエスの病苦にあえぎながらも、死の2日前まで随筆「病牀六尺」を発表しつづけて、明治35年(1902年)9月19日に亡くなりました。
「写生」に根ざした子規の文学は、多くの仲間とともに子規山脈を形成し、近代文学史上に輝いています。
子規記念博物館のご案内
開館時間、休館日、アクセスなどをご案内します。
見取り図と展示内容をご案内します。
子規記念博物館で開催される展示会等をご案内します。
常設展示室をご案内をいたします。
企業研修や講演会の場として、道後温泉本館に近い当館会議室をぜひご利用ください。
松山市立子規記念博物館が所蔵する博物館資料の資料写真の貸出し(館外貸出)、写真撮影、熟覧を希望する場合の手続きの紹介です。
子規の俳句を、春、夏、秋、冬、新年、雑に分類するとともに、季語での検索もできます。
松山市内の句碑の内容や場所を紹介した書籍『俳句の里 松山』およびホームページを紹介しています。
子規博からの様々な情報をお届けします。
子規記念博物館に親しみ、その活動に参加し支援・協力している団体についてご紹介します。
審査基準・標準処理期間
審査基準と標準処理期間の設定はこちらです。
