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松山市立子規記念博物館

更新日:2017年2月24日

松山市立子規記念博物館について

松山市立子規記念博物館は、正岡子規の世界をとおして、より多くの人びとが松山の歴史や文学に親しみ、理解をふかめていただくために開設された文学系の博物館です。市民の知的レクリエーションや学校の課外学習の場、研究者のための情報機関、また観光客のビジターセンターとして親しまれています。

博物館では現在およそ6万点の実物資料や書籍を収蔵しており、正岡子規の一生を紹介する常設展示のほか、年2〜3回の特別展・特別企画展、また各種のイベントを開催しています。

松山市立子規記念博物館の外観
松山市立子規記念博物館の外観

正岡子規について

正岡子規は、慶応3年(1867年)9月17日(新暦:10月14日)、伊予国温泉郡藤原新町(現松山市花園町)で生まれました。翌年が明治元年ですから、子規の年齢は明治の年号と同じになります。本名を常規(つねのり)、幼名を(のぼる)といい、父常尚(つねなお)は、松山藩士御馬廻番、母八重は藩校明教館教授大原観山の長女です。5歳のとき父を亡くした子規は、祖父大原観山の訓育を受け、叔父加藤拓(かとうたくせん)川(後外交官、松山市長)の影響を受けました。
自由民権運動に触発され、政治家をめざして明治16年に上京、第一高等中学校、帝国大学文科大学に進学します。しかし、22歳のときに喀血して「子規」と号したころから真剣に文学を志し、大学を中退して入社した日本新聞社で、俳句や短歌の革新を叫び、新体詩を試み、写生文をとなえました。明治28年からは脊椎カリエスの病苦にあえぎながらも、死の2日前まで随筆「病牀六尺」を発表しつづけて、明治35年(1902年)9月19日に亡くなりました。
「写生」に根ざした子規の文学は、多くの仲間とともに子規山脈を形成し、近代文学史上に輝いています。

子規記念博物館のご案内

   開館時間、休館日、アクセスなどをご案内します。

   見取り図と展示内容をご案内します。

   子規記念博物館で開催される展示会等をご案内します。

   開館日に営業しているミュージアムショップのご案内です。

   常設展示室をご案内をいたします。

   企業研修や講演会の場として、道後温泉本館に近い当館会議室をぜひご利用ください。

   松山市立子規記念博物館が所蔵する博物館資料の資料写真の貸出し(館外貸出)、写真撮影、熟覧を希望する場合の手続きの紹介です。

   子規の俳句を、春、夏、秋、冬、新年、雑に分類するとともに、季語での検索もできます。

   松山市内の句碑の内容や場所を紹介した書籍『俳句の里 松山』およびホームページを紹介しています。

   子規博からの様々な情報をお届けします。

   子規記念博物館に親しみ、その活動に参加し支援・協力している団体についてご紹介します。

   子規記念博物館のご案内です。

   English Home Pegeのご案内です。

審査基準・標準処理期間

審査基準と標準処理期間の設定はこちらです。

お問い合わせ

子規記念博物館
〒790−0857 愛媛県松山市道後公園1−30
電話:089-931-5566
E-mail:sikihaku@city.matsuyama.ehime.jp

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