CONTACT
ABOUT
  • 地元クリエイターに迫る旅!
  • クリエイター×企業
  • PICK UP CREATOR
  • コンテンツ事業者リスト
  • NEWS×REPORT
Image
08 ダンサー 三好直美
ダンサーとして「どこでも踊ります」という立ち位置でいたい
愛媛大学「愛媛モダンダンス研究会」にてダンスを始める。その後、関西や東京でも経験を重ね、東京時代はダンス季刊誌「ダンスワーク」の編集長と出会い編集に関わる。88年に帰松し、公演・即興ライブ・振り付けや多ジャンルのアーティストとともに様々な舞踊活動を行う。また、ダンス以外にもアートと地域をつなげるアートNPO「カコア」にて活動中。
NAO DANCE STUDIO
□ MAIL naomi-m@suite.plala.or.jp
□ 業務内容 ダンス、企画演出
Q ダンスを始めたきっかけとその頃の時代背景を教えてください。

大学2回生くらいから愛媛大学の「モダンダンス研 究会」で踊りはじめました。今の愛大のダンス部ですね。神野先生という方がいて、愛媛でモダンダンスを広めていったんです。その先生の影響力はすごかったですね。文化人ともたくさん接点があって、いろんな事をしようと画策した人物です。県内ではまだ「ダンスって何?」という時代に、巡回公演をされたりしていました。だから愛媛にモダンダンスの下地というのが、昔からあったんです。
それから、時代が「コンテンポラリーダンス」と言いはじめた頃に、松山市の人が私たちのダンス公演を見て「ダンスで何か仕掛けたい」と思ったそうで、ダンスウェーブとか、松山市の事業で海外から著名な振付家を呼んで、地元のダンサーたちを起用して公演をしたり、ワークショップを開いたり、5年くらいかけていろんなことをしたんです。その中で、「ヤミーダンス」とかたくさんの若い人達が育っていきました。それが10年くらい前ですが、その頃から私たちが県外へダンス公演に行くと「松山ってすごいよね」とよく言われるようになったんです。

Q ダンスの仕事は具体的にどういったものがあるのですか?

簡単に言うと自分がダンサーとして踊ることや、振り付けや企画をしたり、教室などで教えることでしょうか。踊ることがメインですが未来高校芸能・演劇コースでも教えています。最近の仕事だと、「なんなんな」というアートスペースで美術家と音楽家と私の3人でコラボレーションするイベントがありました。そこで踊るのですが、今回は情報が明らかに少なかったんです。依頼主の美術家のホームページを見ても、「何が言いたいのか?」とか彼の思想も全然わからない。でも、その場で彼と話をしていたり、空間を見ているうちに、すごく自分の想像をかき立てるというか、未知の感覚がフツフツと湧いてきたんです。「私だったらこの空間でこんな風にいたいな」とか「衣装はこんな衣装がいいな」とか。そしてさらに、音楽を聴いた瞬間に、それが魂を揺さぶるものだったので、「これならできる」と思いましたね。現場に立つと「この音楽の時にはこう立つ」とか、明確に「ここではこうしたい」という部分が浮かぶんです。いくつかのパズルのピースが浮かんでくるという感じですね。ただ、実際にやってみるとまた全然違うんです。だって相手がいることだから。それに、音楽だって照明だって映像だって、自分が思ってる通りにいくわけではない。でもそれが即興の楽しさですし、表現がぶつかり合うことの面白さでしょうね。

Q ダンスは総合芸術ですから、全てがマッチしてないといけない。経験値が大事なのではないですか?

そう。時には自分のやりたいことを捨てるという場合も大事ですしね。勇気がいるけど。そうでないと、人と関われない(コラボレーションはできない)ってこともある。ただそれは、経験を積まなければなかなかわからないことです。

Q 昨年はフランスやドイツにも公演に行かれていましたね。

あれは「関西コラボ芸術表現協議会」という関西で即興ダンスをしている人たちがいるんだけど、いろんな地域のダンサーが集まって即興でダンスをしたり、観客参加型のライブをする、というような取り組みをしているんです。これを3年くらい前からやっていて、私も年に何度か呼ばれて行ってたんです。そのうちに東京公演があって、パリ、ケルンに行こうという話が出て(創作の即興ものを)踊りに行って、その次は札幌で…と言う感じで輪が広がっていきました。

Q 日本だけでなく国をまたいで!

例えば香川県の美術館で踊った時、そこでご一緒させて頂いた作家さんがイタリアで企画展をすることになった。またそこから「君も行きませんか?」という話になってくる。そのように、海外に限らずいろんな所から声がかかるのは本当に嬉しいですね。自分の想いが形になっていくって、1人ではできないじゃないですか。人との繋がりをずっと大事にして、育てていくからこそ今があるんだと思うんです。

Q ダンスをやめたいと思ったことはないのですか?

実は一度もないですね。もちろん楽しいことだけじゃないし、紆余曲折いろいろあったけど、苦しい時期は抜けたと思います。40歳くらいで、ダンサーとして自分の表現ができるようになってからは、だんだんしがらみからも解放されて怖いものがなくなっていきました。そこから断然楽しくなっていきましたね。舞台に立たなかったのは、娘を生んだ時と父親が病気で倒れた時だけ。それ以外は毎年舞台に立っていますね。ここ何年間かは「絶対に月1でライブをやる」と決めていたんです。決めているとそれが目標になるから頑張れますね。現実にはもっと増えていて、年間12本どころではないんです。これはスタンスとしても意識していることですが、本当になんでも、どこでも、踊ります(笑)。「なんでもやりますよ」っていう姿勢でいると、人と会うことで生まれるものを発見する力が培われるし、自分の心が動いたりお客さまと触れ合う事が自分の糧になっていくんです。
京都でダンサーをしている友人が松山で公演をするので帰ってきていた時、たまたま久しぶりに彼の目の前で踊ったんだけど、それを見て「いや~直さんは、ずっとちゃんと踊ってきたんだね」って、化石のように言われて(笑)すごく喜んでくれた。そして、「今度は京都で一緒にやろう」という話になったんです。ちゃんと見てくれている人がどこかにいて、それを実感できる瞬間ってかけがえのないものですよね。もちろ ん、やっているといろんな事はあるんだけど、そういった事に振り回されないで「ずっと踊るよ」っていう姿勢でいられたということが、今の自分に繋がっていると思うんです。

Q 三好さんはなぜ踊るのですか?

わたしからダンスを取ったら存在価値がなくなる と思ってる( 笑)。とはいえ踊る事だけではなくて、アートNPOのカコアに所属してアートと地域の橋渡しを行い、創造性豊かな人と地域の実現のための取り組みをしながら、アートの楽しさとかダンスの楽しさをみんなに知ってもらう活動をやってきました。「ダンスの表現もいろいろあるよ」ってことを松山のみなさんに知ってもらいたくって、大阪からダンスの評論家を呼んだりね。そういう活動を続けながら、この歳になると「この自分のスキルを通してみんなの役に立ちたい」って思うようになってきているんだよね。それに、経験やノウハウを活かして使って貰って、一緒にものを創り上げていくというのはとても楽しいことなんです。

Q ダンスはライフワークですか?

そうですね、ライフワークでもあり仕事でもある。今も高校の授業で教えているし、たまに大学で教えることもある。だけどやっぱり、第一に自分が踊って生きていたいと思ってるから、「教える」ということも「自分が一緒に踊っている」という感覚に近いんです。創作活動だけで十分生活できるだけ稼ぐのはなかなか困難ですが、ギャラが発生してるから「プロ」であることに変わりはないんです。ただ「食べて行けるように」ということで、そのことばかりを気にしていると、アーティストとして疲弊していく。だから、お客さまの反応と同時に、対価に関係なくいつでも自分の精一杯、最高のものを提供しますよって思ってる。どんな困難な状況でも、いつもチャレンジャーの気持ちで立ち向かいたいと思うから「どこでも踊ります」と言うのです。
Image
NAOMI MIYOSHI WORKS
Image   Image
「星空シェルター」 / 2012年   サインス・カフェ「セブンスセンス」 / 2012年
Image   Image
未来高等学校にてダンスを教える   「道後念仏おどり」 / 2013年