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クリエイター×企業「取り組み姿勢」をブランド化原点回帰の商品作り
Image 四万十川中流域、その支流で作られた米をブランド化した「四万十 山間米」。グッドデザイン賞を受賞したパッケージをはじめ、その取り組みは多くのメディアからも注目を浴びた。今回紹介する「山間屋」は大街道で毎週火曜日に開催されている「ふるさと産直火曜市」にも毎回出店しており、高知の新鮮な食材や加工品を販売している。
10 年後、20 年後の地域をつなぐ商品として施されたブランディングとはどのようなものだったのか。山間米の成り立ちを探りながら、デザインの本質を問う対談インタビュー。
迫田司
サコダデザイン株式会社。1966年熊本県生まれ。大手印刷会社での企画デザイン業務を経て1993年、カヌーのインストラクターとして高知県旧西土佐村へ移住。2年後「サコダデザイン株式会社」設立。畑を耕しながらデザインに取り組む自称・地デザイナー。地元で活躍する各地のデザイナーを結ぶネットワーク「地(ジ)デジ」を立ち上げ、全国を走り回っている。

中脇裕美
山間屋。高知県旧西土佐村出身。1 8歳から旧西土佐村役場に勤務し、2003年から特産品開発に携わる。山間米のブランド化に係わることになり、手がけた事業を継続して行うことを目的に役場を退職して独立。「山間屋」を立ち上げる。地元食材を使用したケーキ屋「ストローベイル SANKANYA」を開業するなど、地域に光を当てる事業に取り組んでいる。
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意義や存在価値を探り出して伝えるQ お二人の出会いを教えてください。

中脇:迫田さんの名前を知ってたのは、私の息子と関わりがあったからです。迫田さんが2 0年前に西土佐へ来たばかりのころカヌースクールの仕事をしていらしたんですが、そこに息子の同級生がいて…という流れです。その後、チラシを作ったり「道の駅 四万十とおわ」を運営している「(株)四万十ドラマ」に関わって活動をしているのを知りました。
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迫田:なんか変な人がいるな、みたいな(笑)。はじめはデザインの仕事をしてませんでしたもんね。住みはじめて2年目くらいにデザイナーってことを知ってもらったんじゃないですかね?

中脇:役場にいた時に「お米をブランド化したい」ということになり、デザインは絶対迫田さんに頼もうと思ったんです。迫田さんしかイメージになかったですね。それで主人と一緒にお話にいきました。
Q お米に目をつけたきっかけは何ですか?

中脇:観光振興や産業振興を考える時に、何かを目立たせなくちゃならないなと思ったんです。でも、隣町の十和のようにお茶やシイタケがあるわけでもない。ここはどちらかというと農業というより園芸で成り立っていた村だったので、これといった特産品がなかったんです。だけど、何気ない会話としてよく聞いてたんですが、農家の人はみんな自分のところのお米を自慢をするんです。「自分ところの米ほど美味しいものはない」って言ってて(笑)。じゃあ、それだけ自信があるんだったらブランド化してみようと思ったんです。

迫田:裕美さんに声をかけてもらったのが、ここに移住してちょうど10年目で自分でお米を作りはじめた年だったんですよ。裕美さんは18歳の頃から役場で働いていて、建築から土木から、本当に色んな部署をやってきたんです。で、一番始めに商品開発したのが「イチゴ羊羹」なんですって。それを外販に行った経験から、この山間米のブランド化が始まるんです。僕の記憶してる限り15年くらい前というのは、味噌とか漬け物とかが日本中で発売されたような時代なんですよ。それらが出尽くして、田舎でもクッキーやケーキの商品開発が始まった頃でしたから、そこで「米」と言われたから、僕もビックリしちゃって。

Q 生産者の方とブランド化の話をどのように進めたのでしょう。

中脇:とにかくまずは農家の人と話し合う機会をもったんです。「やりたいのか、やりたくないのか」というところをハッキリする必要があったので。それがあったから基礎ができました。

迫田:こういうのは地域の産業のことや、人間関係のバランスを分かった上で新しい仕組みや作っていくことなんで、結構しんどいんですよね。裕美さんはそのへんがスゴい。勝手に来て勝手に「こんなのがいいんじゃない?」って言うのって簡単なんですよね。だ けど、それが実際に産業になるかっていうと、地元の生産者たちのモチベーションがないとなかなか根付かないんです。

中脇:米をブランド化するには、農協を通すのか通さないのかとか、すごく大きな問題が出てくるんです。だからもちろん農協ともだいぶ意見をぶつけ合いましたね。結局ブランド化したって、農家も農協に頼らないといけない部分が大いにあるんです。それは今後もずっと続くことだから、農協を敵には回せないんです。だから実際には、「独立した手法ながらも味方につける」ということをやりました。
また、農家の人たちは「自分の米がブランドになる」ということが、わかっていても実際のところ実感できていない様子でした。そこで「ブランド化事業」という補助金を取ることができた時に、迫田さんが法被や前掛けなどブランドに関わるすべてをあのマークでデザインをしたんです。ブランドというものが形になったものを見て、農家さんは相当感激したようでした。その時に初めて「自分たちの米に付加価値が付く」という実感が湧いたんだと思います。

迫田:37、38歳の時だったけど、僕もよそ者ながら田んぼをやってみて知らなかったことを100くらい学びました。技術とか知恵とか。山間米の取り組みの中でやっているのは、お米の品評会で評価されるためじゃないんです。山間米は、四万十川の5つの支流の米を扱っているんだけど、それぞれの田んぼで味が統一できるわけがないじゃないですか。だから「取り組む姿勢」とか「どういう状況で作ってるか」というのをブランド化しよう、と思ったんです。他がやってる大規模なブランド化とは基本が全然違う。『正しくここで暮らしていれば、あなたがブランド』みたいなものなんです。
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Q 具体的にどのようにデザインをされたのですか?

中脇:はじめは「山間米」という名前ももちろんなくて。この辺は中山間地区と呼ばれていたのですが、細かく分けると本当は「山間地区」だから、響きもいいし、他に「山間」という名前を使った商品もなかったので、そのまま「山間米」にしました。具体的な案として、まずは手に取れる小袋にしたかったんです。ビニール袋で並べられている米袋に違和感があって。ツルツルしていて運びにくいし。「お米ってそういうもんじゃないろ」と思って、その思いを迫田さんにぶつけたんです。そしたら意見が合ったんです。そんな感じで、迫田さんとはデザインはさることながら山間米の取り組みから方向性までも一緒に考えました。

迫田:実際にカタチにしていくまでには、何度も話し合いましたね。デザイナーとしては、米とか塩とか水、酒とかの話が来ると、ビビるんですよ、どうしても。神棚に上げるものじゃないですか。適当な事はできないと。しかもこんな田舎で、僕自身も同じ場所に住んでるわけじゃない。そういうこともあって、山間米は新製品だけど、これが店頭に並んだ時に新製品に見えないようにしようと思ったんです。「10年くらい前からあったよね」みたいなものにしたかった。そうなれば、この先5 0年もいけるという想定があったから。あと、マーケットリサーチをしてみると、みんな自宅に米びつがないってことがわかったんです。都会では大体毎日二合か三合しか炊かない。そして、買って来た米のビニール袋の端を縛って、隠すしかない感じになってて、それが嫌だなってことで、この袋でこの形になったわけ。自立するし、この袋は農家が玄米を保管してる紙袋と同じ袋だから、理にかなってるんですよ。
Q やっていくうちに見えてきた問題点や課題はありますか。

中脇:いつも言うことなんですが「いくら外見がよくても中身が悪かったら詐欺やけんね」と。外に惹かれて買う、食べてみてさらにワッ!と驚く。その統一感がブランドだと思うんです。外身はいいのに食べてみてゲンナリ…なんて商品は、最低でしょ。だから、外見が良くなった分、中身を大事にするというのは私も農家さんも意識してることです。肥料を使いすぎないとか、裏作をしないとか、みんなで共有しながら品質を向上させてますし、これまでも米づくりの専門家を呼んで勉強会をしたりもしています。ブランドとして「美味しい」に特化しているわけではないんですが、美味しいに越したことはないですからね。
あと、これは役場のことなんですが、部署移動などがあるでしょ。私は自分で立ち上げた山間米の事業やその他手がけた仕事に引き続き係わりたかったので、役場をやめて独立したんです。
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Q 今後の展望や展開を教えてください。

中脇:「10年経たないと事は成らん」てことで、山間米10年の節目のお祭りをしました。よく「地域を愛してるんですね」って言われるんだけど、正直なところ地域愛ってのはそんなに思わないんですよね。そうじゃなくて、ここがさびれていくのが嫌なだけなんです。自分が育ってきたところが疲弊して、動いてないねって感じになるのが辛いんです。だからなんとかしたくて、ケーキ屋を作ったり。山間米でいうと、今後は米酢を作ります。あと、日常的に酒粕を使ってもらうためのパッケージを作りたいですね。レシピさえ付けたら甘酒もすぐ作れるし、そうやって日常に酒粕が使えたら、お米やお酒がもっと生きてくると思うんです。そして、会社を株式会社にしていこうと思っています。雇用を確実なものにしていきたいですからね。

迫田:裕美さんはアイデアマンだから、これからも新商品が生まれるんじゃないかと思います。1 0年経って、裕美さんにしみじみ「地道にやるっていうのはいいよね」って言われたんです。それだけで僕はもう涙でちゃって。うまく言えないんだけど、関わっていくところが少しずつ増えていって…。その時に自分が住んでるところでデザインをやることの喜びを実感したんだよね。ここに住んでいると嘘をつけないんですよ。生産者の人が商品を手に取ったときに「そうだ、そうだ」って共感してもらえないと意味がない。だからその分、地元の仕事はやっぱり厳しいよね。商品というのは結局「買ってくれる人に、何を約束するか」なんですよね。だから自分もデザインをする時に「何を約束できるか」が分かってるから山間米はいいんです。デザイナーとしては地元でやってる仕事が結局、一番光っていないとダメですもんね。そういう意味ではこうやって地元で仕事が出来ているのは幸せなことです。
SHOP DATA
山間屋
高知県四万十市西土佐長生156-2
□ TEL 0880-31-6474
□ FAX 0880-31-6475
□ URL http://www.sankanya.com
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