第15回坊っちゃん文学賞ショートショート部門佳作「shell work」

更新日:2018年3月1日

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「shell work」 小狐 裕介

 「おい、マジか」
思わず声に出して呟いていた。
 週末に片づけてしまおうと思っていた仕事の書類を忘れたことに、乗り換えの駅で気づく。
 これから戻ると、かなり遅くなるな。だが、戻るより仕方ない。
 俺は反対車線にやってきた電車に飛び乗った。

 営業フロアに続く扉を開けて驚いた。フロア全体は電気が消されて暗くなっているが、一つだけデスクライトがついている。
 その席に座っている、水島さゆりの後ろ姿が見えた。
 まだ残っていたのか。
 声をかけようとして思いとどまる。水島は片手を耳に当ててじっとなにかに聴き入っている。
 誰かと電話しているのだろうか。
 そう思って静かに近づくと、どうも電話ではないらしいことが分かった。
 水島は巻き貝の貝殻のようなものを耳に当てていた。
 声をかけようか迷っていると、水島が弾かれたようにこちらを振り向き、元々大きい目をいっぱいに見開いて俺を見た。
「せ、先輩! ど、どうしたんですか」
分かりやすく動揺した水島が、妙に可愛く見える。
「いや、書類を忘れてさ。水島こそ、どうしたの?」
デスクの上を見ると綺麗に片づいているので、仕事はもう終わっているようだ。
「あ、私はちょっと残業していて、これから帰るところなんですー」
そう答える水島の手には、先ほどの貝殻が握られている。
「それ、貝?」
俺がそう尋ねると水島は
「え、えっとー、これはー」
と言いながらもう片方の手で貝殻を隠してしまった。
 困らせてしまったようのでこれ以上訊くのはやめよう。
 そう思ったとき、水島が「先輩ならいっか」と言いながら貝殻を渡してくれた。
 それは濃い海色をした巻き貝で、一段ずつにスイッチのような黄色い小石がはめられていた。小石は全部で3つある。
「それはメモリーシェルと言って、自分の思い出を聴くことのできる貝殻なんです」
水島はそう言いながら貝殻の一番先端についているスイッチを押した。
 水島に促されて貝殻を耳に当てると、さざ波のような音が聴こえ、次に子供の笑い声のようなものが聴こえた。
『さゆちゃん、まってー』
小さな男の子の可愛い声。さゆちゃん、というのは水島のことだろうか。
『たっくん、なにー?』
女の子の声が答える。
『あのねぇ、ぼくねぇ、さゆちゃんのことが好きなんだー』
それは、あまりに可愛らしい告白だった。さゆちゃんこと水島はどう答えるのだろう。
『・・・・・・わたしは、だいすけせんせいがすきー』
あらら。たっくんの、おそらく初めての告白は失敗に終わってしまったようだ。
 貝殻からはまた波の音が聞こえて、それきりなにも聴こえなくなった。
「本当は好きだったんです、その子のこと」
と水島が笑う。
 人の記憶を封じ込めるとは、不思議な貝だ。
 2つ目のスイッチを押すと水島は「もう返してくださいよー」と手を伸ばしてきた。俺はそれをひらりとかわす。
 2つ目も思い出は、水島がサッカー部の先輩に告白をする場面だった。
 俺が3つ目のボタンを押そうすると、「あ、ダメ! 返してください!」と水島に取り返されてしまった。
「なんだよ、いいじゃん。最後まで聴かせてよ」
「ダメです」
すごい剣幕だ。
「先輩、”five senses"ってお店知ってますか? これ、そこで作ったんです」
聞いたこともない店だった。貝細工を作っている店だろうか。
 そう尋ねると水島は「ちょっと違います」と言って、お店の名前が印字された名刺を渡してくれた。
 表に“five senses”という店名が印字されていて、裏に地図が印刷されている。
「そこ、不思議なお店なんです。青春の思い出を色々な形で加工してくれるんですよ」
「思い出を加工する?」
「はい。”five senses”っていうのは五感って意味なんですけど、例えば視覚だとバーチャルリアリティで青春の一場面を追体験できるんです。嗅覚だったら、思い出深い匂いがするお香を作れたり、一階にあるカフェでは思い出によって甘酸っぱかったり甘かったりする青春味のオリジナル紅茶が飲めるんですよ」
 それで、聴覚がこのメモリーシェルというわけか。
「その名刺、あげます。先輩もこれ作ってきてくださいよ。予約制なので事前に電話を忘れずに」
先輩のと交換なら私のも全部聞かせてあげてもいいですよ、と水島が笑った。

***

 名刺に書かれた地図を頼りに「five senses」にやってきた。
 薄いブルーを基調とした五階立ての建物にエレベーターがついていて、それぞれの階層ボタンに

1F「cafe」
2F「touch」
3F「perfume」
4F「shell work」
5F「virtual reality」

と印字されている。4階のボタンを押した。
 エレベーターの扉が開き、店内に入る。
 海色の壁に囲まれた店内を進むと、スーツをスマートに着こなした男性係員が立っていた。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
係員はそういうと受付らしきカウンター席に座るよう勧めてくれた。   
 カウンターはガラス製になっていて、ガラスの中に色取り取りの美しい貝殻が展示されている。
「さっそくですが、お持ちいただいたお品物をお預かり致します」
そう言われて俺は、持ってきていた品物を渡した。
 大学生の頃から持っていて今も身につけている腕時計。昔書いていた日記帳。卒業アルバムなど。
 予約の電話を入れた時に、自分の思い出の品物をいくつか持参するように言われていた。
 係員は品物を受け取ると、受付の脇に置いてあったアンティーク調のボックスに一つずつ丁寧に入れた。
「次に、メモリーシェルのお色をお選びいただきます」
そう言って係員はガラスカウンター内の貝殻たちを指し示した。
 水島は海色に近い色だったから、俺は薄いエメラルドグリーンの貝殻を選んだ。
 係員は手袋をはめてガラスカウンターから貝殻を取り出し、先ほどのボックスの中に丁寧に入れた。
「それではこれから一週間、このボックスの中で思い出のお品物とメモリーシェルを保管させていただきます。ボックスの中で同じ時間を過ごす事でメモリーシェルにお客様の思い出が宿り、あなただけのメモリーシェルが出来上がります」
 来週を楽しみにして、俺は店を後にした。

***

 あれから一週間。
 再びfive sensesに向かうと同じ係員の男が出迎えてくれた。
「こちらがお客様のメモリーシェルでございます」
係員が差し出したメモリーシェルを見て、驚いた。
 前に見たものよりも数段美しいエメラルドグリーンに輝いており、ルビーのように鮮やかな赤色の小石が3つ、ついていた。
「素敵な思い出をお持ちのようですね。思い出が素敵であればあるほど、メモリーシェルは美しい色に輝くのです」
そう言って係員の男が微笑んだ。
 水島の持っていたメモリーシェルも美しい海色をしていた。
「恐れ入りますが、この場で一度ご試聴をお願いしています」
そう係員の男に促され、少し緊張しながら一番上についている小石を押して耳に当てる。

 さざ波の音が聴こえた後、風を切るような音が聴こえてきた。
それにあわせて、小刻みな息づかいが聴こえてくる。
『駅だ!』
小学生くらいの少年の声が聴こえた。俺の声、か?
『すげー! 駅まで来たよ、俺ら!』
今のは、幼なじみの信吾の声だ。
 小学生の、あれは何年生の頃だっただろうか。夏休み最後の日、信吾と二人で自転車に乗ってどこまで行けるか試した事がある。
 当時の俺たちにとって最寄りの駅はバスで30分かけて行くもので、自転車でそこに到達したことに妙に興奮したことを覚えている。
 ということは、これが俺にとっての最初の青春というわけか。水島と違って色気がないなと思った。まぁ、女の子の方がませてるって言うしな。
『この先行ったことないよな! やべ、すごいよ!』
『早く行こうぜ!』
そんな、小学生の俺と信吾の興奮した会話が聴こえてくる。
 駅の辺りまでは良かったが、その後まったく知らない土地に不安になり、結局この後すぐに引き返すんだったよな。
 そんなことを思っているとさざ波が聴こえ、やがて無音に戻った。

 2つ目の小石も押してみる。
 また小刻みな息遣いが聴こえた。おいおい、今度も自転車か。
 しかし今度は遠くの方から、数人の笑い声が聴こえる。
『鬼、誰かな』
女の子の声が間近に聴こえてどきっとした。そして同時に、これがどんな場面が分かった。
 中学3年生の頃、なぜか放課後に隠れんぼをするのが流行ったことがある。
 体育倉庫の裏に隠れていた俺のところに、一人の女子がやってきて、一緒に隠れていたのだ。
『多分、ケンジかな』
声変わりをしている俺の声が聴こえる。
『そっか』
そう答えた女の子は、牧原さんという名前だった。
『ねぇ、牧原さんって好きな人、いるの?』
まだ呼び捨てにも出来ないようなそんな時期。というか、この頃の俺は自分の気持ちにも気がついていないはずだ。
『うん、いるよ。多分、君も知ってる人だよ』
俺はその答えを聞いた時、妙に心がざわついた。そしてそうなってから初めて牧原さんへの気持ちに気がつきはじめるのだ。
 そして後々になって分かったことだが、この答えは牧原さんの照れ隠しだったらしい。
『あ、ケンジ来た!』
そう言って牧原さんが走り去る音が聴こえた。
 卒業を間近に控えた頃に俺が告白して二人は付き合うことになるのだが、告白の時ではなく、まさかこの場面が選ばれるとは。
 付き合う前の、恋が始まりかけている瞬間。ある意味一番楽しい頃だったかもしれない。
 貝殻から耳を離す。

 思えば中学生のあの頃が、一番青春と呼ぶにふさわしいのかもしれない。高校や大学では男友達とばかり遊んでいたし、青春と言うにはなんだかこなれてしまったような、そんな思い出ばかりだった。
 じゃあ最後の1つにはどんな思い出が宿っているのだろう。小石のスイッチを押して、耳に当てる。

『せ、先輩! ど、どうしたんですか』
どきりとした。
『先輩ならいっかぁ』
『本当は好きだったんです、その子のこと』
『あ、ダメ! 返してください!』
 たくさんの、水島の声。

『先輩のと交換なら私のも全部聞かせてあげてもいいですよ』

***

 five sensesを後にする。
 スマホを見ると「先にお店入ったのでビール頼んでおきますねー」
という水島からのメッセージが入っていた。
 これからお互いのメモリーシェルを聴かせ合うことになっている。
 嘘みたいに心臓の音が早くなっていることに気がついた。
 自分の恋心にすら気がつかないのは、昔から変わっていないらしい。
 大きく深呼吸をしてから、水島の待つ店に向かった。

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