宮本輝美さん(33歳) ・ 彫金師(和彫り・石留め) 神奈川県川崎市⇓松山市まっすぐな気質で、美術の道を突き進む技さえあれば、場所はどこだっていい“ちょうどいい”暮らしに守られて、彫金の世界にその名を刻む彫金師の宮本輝美さんは、子どもの頃から美術の世界へとまっしぐらに生きてきた。東京で活躍していた輝美さんの日々を一変させたのが、指定難病の発症。日常生活もままならなかった輝美さんは、松山に移住し、気候も街のサイズも“ちょうどいい”暮らしの中で、全国のオーダーに応えている。 ”“ 松山の街並みを見渡す工房で、タガネという小さな刃物を自在に操り、金属に模様を刻んでいく。宮本輝美さんは、和彫りと呼ばれる日本のジュエリーに欠かせない彫金技術をこなす彫金師だ。世界に名だたる有名ブランドも厚い信頼を寄せるその腕は、東京で磨いた。神奈川県川崎市で育った輝美さん。小学生の頃に絵画教室に通ったことがきっかけで、美術の道を歩むことになる。進学した山形の東北芸術工科大学で、金属工芸に出会った。作業の労力を知る一方、表現の幅がある素材に夢中になった。「金属に恋をしたんです」と振り返る。 大学卒業後は東京のオーダーメイドのジュエリー会社に就職。配属されたのが「彫り」の部署だった。「仕事が命」というほどに、彫金に没頭した。状況を一変させたのが23歳で発症した、指定難病の潰瘍性大腸炎。病状が悪化し、入退院を繰り返すようになると、電車通勤もままならなくなる。日常生活が遠のいていき、生きる意味を見失っていたとき、「タガネが使えて、いい物を見分ける力があれば、ブレない仕事はどこでもできる」という上司の言葉で独立を決めた。 ちょうどそのタイミングで、パートナーが松山に転職。輝美さんもともに松山を訪れた。「路面電車の風景が気に入りました。ほどよい街「自分のペースで暮らし、仕事ができ「東京でなくても、場所はどこでだっで、家賃も安いし、ここに住むことがリアルに思い描けたのです」当初は、松山で東京の仕事を受けることができるか不安もあったという。彫りは、ジュエリーの仕上げの工程。タイトなスケジュールの案件も多い。それでも、その確かな技と、誠実な仕事を認められ、松山に住んでいても依頼が舞い込むように。今では、評判を耳にした全国各地のショップからオーダーを受け、制作に励む日々だ。る今に満足しています」と輝美さん。ここ2年は入院もしていない。ストレスが影響する病気だけに、松山での暮らしの充実ぶりを物語る。てできるんです。これからも、依頼してくれる人の期待に、応えていきたいです」TURNSInterview16vol.タガネを手に、金属に模様を刻んでいく輝美さん松山で最初にできた友人という、「オーガニックカフェのさり」のオーナーと。今でも交流が続く松山は、本当に暮らしやすい!銅板で制作した輝美さんの作品 profile1987年、神奈川県川崎市生まれ。2009年、東北芸術工科大学で金属の伝統技法を学んだ後、ジュエリー会社に就職し彫金師になる。23歳で難病にかかり、退社し独立。2016年、パートナーと松山に移住し、現在はフリーランスの彫金師として活躍している。1010
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