松山市は、その四国沿岸周辺と多くの島嶼部に長い海岸線を有するが、興居島、釣島と幾つかの島嶼を除き、自然海岸の残されている割合は「瀬戸内海の白砂青松」という言葉に反して予想以上に少ない。とくに四国沿岸部では、自然海岸は皆無といっても過言ではなく、岩礁部の岬となる白石ノ鼻や梅津寺北の黒岩崎周辺の合計約1キロ程度が自然状態で残されているに過ぎない。その他の箇所は護岸工事か埋め立てで既に失われてしまっている。とくに海岸沿いに護岸道路が建築されると海域と陸域という二つの生息場所間を移動して生活史を完結する必要のある生物には大きな障壁となる。たとえば、海域から汽水域・淡水域を経由して陸上へと進化した分類群を含むイワガニ科に属するアカテガニ(準絶滅危惧)・ベンケイガニ・クロベンケイガニ(準絶滅危惧)などの成体は小川や森林の水溜りなどで水分を補給しながら半陸生の生活をおこない、繁殖期には成熟した卵を抱えた成体が大潮周期に合わせて、汽水域や海へ直接放仔を行うために二つの生息場所を移動する両側回遊性に近い生活史をもつ。その間に護岸道路が建設されると繁殖期に多くの成体が轢死することになりこれらの生物は生息できなくなってしまう。松山市では、白岩崎をめぐる護岸道路で、以前周辺に多く生息していたアカテガニがいなくなった事実がある。これも、その特定の護岸道路が問題だというだけでなく、周辺海域全体でこのような障害または減少要因が増えたため、地域個体群全体が大きく衰退し、海域全体の幼生生産量が低下したその表れと考えられる。このような護岸道路に対しては、道路を横断する形で大きめの暗渠を適宜設け、海と陸との行き来の分断化を低減する試みが望まれる。
2000年に、新たに中島町や北条市が松山市に編入され、島嶼部や北条市沿岸部に残されていた岩礁・砂質海岸が、松山市の自然海岸の割合を増加させることとなっている。しかし、その進行速度は落ちたものの護岸工事は止まることなく続けられており、これらの自然海岸も徐々に減少しているのが現状である。
海岸生物の生息場所としては、上記した海岸そのものに加えて、河川流入部の汽水域(塩分が海水と淡水の中間にある)である河川河口域が重要なものとして挙げられる。この河川河口域は、瀬戸内海では一日2回の潮汐周期の影響を受けて、その底部浅所は干潟として干出する。よって、海岸部と同様に、夏季であれば乾燥と高温に、冬季は低温と過酷な環境状態に曝される。また、多くの海岸部と異なり、河川(淡水)流入量の変化により、塩分の変動が激しい苛酷な環境となっている。反面、上流から流出してくる有機物が、河川水に含まれる粘土粒子と海水中に大量に含まれる塩素など陽イオンが凝集反応によりここで沈殿し大量の有機物を含む広大な泥底・泥干潟を形成する。また、上流や海洋から供給される砂粒子の流入堆積により砂・砂質干潟も形成され、その混合された砂泥干潟も出現する。また、河川河道部の河川流速が早くなる浅所の瀬部分では、礫底が存在する。以上のように、河川河口部は河川と海洋の中間的な環境特性をもち、河川・海洋からの有機物・無機栄養塩類の供給で栄養豊かな多様な生息場所を形成している。それに伴い、種多様性は比較的小さいものの、貝類・カニ類など甲殻類・ゴカイなど環形動物類が高密度で分布しており、それを採集する人を含めた高次の捕食者である魚類・鳥類・哺乳類の重要な採餌・生息場所となっている。ここでは、護岸工事にともなう干潟の埋め立てや流域における人の活動による河川水の有機物汚染が生物分布に与える重要な攪乱要因となる。
松山市では、河川河口域としては一級河川の重信川河口が最も規模が大きく重要である。また、市域の拡大により、立岩川河口も対象域に加えられることとなった。重信川河口域では、沖合の海域における砂利採集が禁止となった頃より、河口域全体が砂っぽくなり、砂泥を好むスナガニ科ハクセンシオマネキ(準絶滅危惧)が分布を拡大し、以前は限られた場所に分布していたものが河口域全体に広がったケースもある。また、台風による大規模出水により、干潟全体の底質構成が大きく変化し、重信川河口域下部の泥質干潟が削られ、そこに生息していたイワガニ科ヒメアシハラガニ(準絶滅危惧)個体群が一旦消滅したが、現在では泥干潟の回復・拡大とともに以前以上の分布域と密度に回復している。
海岸動物の分布・動態を通して、絶滅危惧の評価を行う場合、以下に述べるように考慮しておかねばならない要因が幾つかある。
(1)長期的要因:気候変動による水温など生息環境条件の変化。
(2)短期的要因:台風などによる突発的な事象による生息場所の構造的変化とその長期化。
(3)人為的要因:埋め立て、コンクリート護岸、海砂採取、水路掘削、人為的有機物負荷(富栄養化)。
(1)および(2)の自然環境要因の変動による海岸動物の分布と数量の変動は、不可抗力であり絶滅リスク評価の対象外となるが、(3)の影響要因との違いは、前者の場合、南方種の増加など種多様性や個体数の大きな変動を伴わない系統的な群集種構成の置き換わりや変化が観察される可能性が高いということである。一方、(3)の人為的要因のうち、埋め立てや海砂採取は生息地そのものの消失であり、群集の種多様性や個体数の大きな変動を伴う変化を示す。また、人為的有機物負荷では、個体数の大きな変動を伴う耐性種への系統的な群集種構成の置き換わりや変化が観察される可能性が高い。以上のように、海岸動物の分布・動態を通した絶滅危惧の評価を行う場合には、評価の対象となる一つの種の出現やその密度に注目するだけでは不十分であり、周辺の群集種構成全体の変化に対する検討が必要である。
また、上記したように、海岸動物の多くが、成体は砂・泥・礫・岩礁などの基質に定着して生活するが、期間は様々である浮遊幼生期を持つ生活史型であり、ある特定の場所が破壊されても、他の場所からの浮遊幼生の加入により直ちにその周辺に生息していた生物群集が絶滅することはない。逆に、一部好適な生息場所があるにもかかわらず以前その場所に生息していた生物群集がその数量を大きく減少させている場合、群集構成種の各地域個体群全体が減衰している可能性が高く、このような事態が一旦起こるとその個体群の回復は困難となることが予想される。その危険性を海岸動物の保全においては特に注意しておかなければならない。
各種の記述については「原色検索日本海岸動物図鑑」に準じた。また、2002年度版の海岸動物の執筆者である須賀秀夫氏が亡くなられたため、大森が2002年度版の同氏記述に全面的に準じて、必要な改訂を施した。
(執筆者:大森 浩二)
海産動物分科会協力者:渡辺 達也、南口 哲也