平成29年1月4日 平成29年松山市年賀交歓会

更新日:2017年2月15日

 皆さま方、改めまして、新年明けましておめでとうございます。
 今日は新年早々、皆さまいろんな御用事があったかとは思いますが、このように大勢の方に御参加をいただきまして、そして多くの御来賓の方々にお越しをいただきまして、また、関係団体の皆さま方とこうやって年賀交歓会ができますことを大変うれしく思います。重ねて感謝申し上げます。どうもありがとうございます。

 さて、今年は、松山市にとって、本当に多くの節目が重なる大事な年です。市政はできるだけわかりやすく、そして皆さまに御参加をいただいて、一緒にまちづくりをしていきたいと思っていますので、今回もわかりやすく、スライドを用いながら御説明をさせていただいたらと思います。

 それでは、多くの節目が重なる年と申し上げましたが、御説明をさせていただいたらと思います。
 まず、愛顔(えがお)つなぐえひめ国体・えひめ大会の年です。
 松山市では、えひめ国体の正式・特別競技14競技18種目が行われます。70回を超える国体の歴史の中で単独の市で18種目を開催するのは第2回の金沢市、第5回の名古屋市と並んで史上最多タイです。また、公開競技やデモンストレーションスポーツと合わせると24競技28種目、えひめ大会を合わせると32競技36種目が松山市で開催されます。今日は知事が来てくださっていますが、愛媛県と連携し、しっかりと成功させなければいけないと意気込んでいます。ここで市民の皆さんにお願いがあります。松山市に多くの方が国体でお越しになりますが、松山市の印象は非常に大事です。良い印象をいただければ2度目、3度目の来訪につながります。経済効果もあります。良いおもてなしを皆さんと一緒にできればと思っていますので、どうぞお力添えをよろしくお願いします。
そして、二つ目、正岡子規・夏目漱石の生誕150年です。二人は同い年でした。そして親友でした。子規と同い年で子規の顕彰に尽力した柳原極堂も生誕150年です。
 そして、松山市にとっては大変大事な場所です。「坂の上の雲ミュージアム」が開館10周年を迎えます。
 もう一つの節目、秋には、道後に松山市営では33年ぶりに新たな温泉施設が誕生します。全国から訪れる多くの方々に、松山の魅力を知ってもらいたい。「行ってみたい」「住んでみたい」と感じていただきたいと思っています。
 まず、子規・漱石生誕150年では、「松山から世界へ そして未来へ」をテーマに俳句の都、俳都松山の新たな一歩を踏み出します。
 また、まだ仮の名前なんですが、『International Photo-Haiku Festival』と題して、年間を通じて、俳句と市内観光が体験できる「まち歩き」の商品提供をはじめ、「瀬戸内・松山 国際写真俳句コンテスト」の開催を予定しています。写真俳句とは「写真」と「俳句」を組み合わせた、新しい表現世界です。
 例えばこの写真ですが、松山市と観光・文化交流都市協定を結んでいる、奈良県の斑鳩町にある、正岡子規さんの「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の法隆寺の夕焼けの写真です。この写真、良い句が浮かんできそうです。

 そしてこの写真、観光戦略「瀬戸内・松山」構想で非常に連携させていただいている、広島市さんの原爆ドーム前の灯篭流しの写真です。あなたならこの写真でどんな俳句を詠みますか。旅先からの絵葉書に一言添えるように、写真に5・7・5の俳句を詠むものです。携帯電話の写真機能の普及で、さらに身近な表現方法と注目されています。
そしてもう一つの写真、例えばこの写真は松山城天守からの夜景です。あなたならこの写真でどんな俳句を詠みますか。
 審査員は、この写真俳句の提唱者で、著書「人間の証明」や「家族の証明」で知られる、推理作家の森村誠一さんや、俳都松山大使の全国でも大活躍の夏井いつきさんが担当してくださっています。
 そして、坂の上の雲ミュージアムが開館10周年を迎えます。 
前中村時広市長時代から続けて進めている司馬遼太郎さんの小説『坂の上の雲』を生かしたまちづくりの中核施設で、世界的な建築家、皆さん御存知の安藤忠雄さんの設計です。今年の2月下旬からは、開館以来初めて、企画展で秋山好古・秋山真之・正岡子規の3人の主人公を同時に取り上げ、明治20年代初頭の状況が企画展の題材になります。

 次は道後にまいりましょう。
 工事しながら営業し、営業しながら工事をします。したがって、心配をされている方もいらっしゃるかと思いますが、安心をしていただいたらと思います。工事中でもお風呂には入れます。国体終了後の適切な時期に道後温泉本館の耐震補修工事に着します。また、道後には、去年7月から工事が行われていた(仮称)椿の湯別館がえひめ国体の開催前にオープンをする予定です。外観は、御覧のように飛鳥時代の建築様式を取り入れた湯屋が、コンセプトになっています。万葉集や日本書紀にも登場して、日本最古の温泉といわれる道後温泉ですが、日本最古を感じさせるものは今まであまりありませんでした。西暦596年には聖徳太子、西暦661年には女性の帝である斉明天皇が道後にお越しになった歴史があります。これはともに飛鳥時代です。日本の建築界のトップランナーの一人で、代表作に日本建築学会の作品賞を受賞した三重県の海の博物館や、島根県の芸術文化センターがあり、道後のまちづくりもよく御存知の東京大学の名誉教授内藤廣先生に、指導や助言をいただきながら進めています。
 松山市営では33年ぶりの新たな温泉施設で、地上2階、地下1階です。全体の敷地面積は、椿の湯の西側の土地を購入し、道後温泉本館の約2倍の広さです。広いです。そして新しい施設は、道後温泉本館と同じ規模、大きな建物が建ちます。内装のデザインは「太古の道後」です。松山には例えば、竹細工、伊予かすり、愛媛には、砥部焼、タオル、水引、和紙などの伝統工芸があります。約10名の伝統工芸士さんと約30名の匠の皆さんが、道後温泉にまつわる伝説や物語などを使い、「愛媛の伝統工芸」と「最先端のアート」をコラボレーションした約20の作品を新施設に展示したり、装飾したりします。是非、市民の皆さんにも楽しんでいただけたらと思います。松山市では道後で2014年からアート事業を展開して、魅力アップをしてきましたが、実はここにつながっているんです。伝統的なものと、最先端のものをつないで、そして魅力アップをする、ここにつながっています。
 1階のフロアには、空気を浄化する、呼吸する和紙ともいわれます「ゼオライト和紙」のシェードや、次に、奈良の世界遺産薬師寺の西塔や回廊の再建でも使われた「千年の釘」、作者は松山市堀江在住の白鷹さんです。これを使った道後温泉のシンボル、巨大な湯玉を描いた装飾の壁、浴場の入り口には、日本3大かすりの一つ、伊予かすりを使った暖簾です。男性50人、女性50人、それぞれ50人程度が入浴できる開放的な大浴場です。大浴場には砥部焼の陶板の壁画を飾ります。図柄は道後温泉にまつわる和歌の風景です。男性の浴室には、山部赤人が道後温泉に来て詠んだ歌、「~島山の 宣しき国と 凝々(こご)しかも 伊豫の高嶺の 射狭庭(いざには)の 岡に立たして~」から、いさにわの岡から望んだ、伊予の高峰・霊峰石鎚山がモチーフです。そして女性の浴室です。こちらには額田王の歌、額田王は厳(いか)めしい漢字を書きますが実は女性です。この額田王の歌、「熟田津(にぎたつ)に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は 漕ぎ出でな」から、熟田津の海、瀬戸内がモチーフです。陶板の壁画は、浴槽を囲むように3面に飾りますので、飛鳥時代の歌の世界観を、ゆっくりと湯船に浸かって楽しんでいただけます。露天風呂も備えます。できるだけ木を使います。
 そして2階の様子です。道後温泉本館の休憩室とほぼ同じ広さの、大広間の休憩室があり、「ギルディング和紙」を使った、ペンダントライトや天吊りのシェードで、雅な空間を演出します。そして個室の休憩室を5室設けます。それぞれに特徴を持たせ、そのうちの一つは、今治タオルを使って、椿を表現します。地元の皆さんと一緒に汗をかいて、新しく生まれた施設ですから、大切に市民の皆さんと育て、明治を代表する道後温泉本館と、飛鳥時代をイメージした(仮称)椿の湯別館、二つの時代のお風呂が楽しめる道後温泉としてPRします。厳しい時代だとは思いますが、やはり小説『坂の上の雲』の主人公がそうであったように、前に向かって進んでいきたいという思いです。だきました。

 続いて、市内中心部です。
 松山市では、少子高齢化が進展する中で、歩行者や自転車といった、いわゆる「遅い交通・ゆっくりの交通」に配慮した「歩いて暮らせるまち松山」を目指しています。安全に歩いて、健康で、生き生きと暮らせ、かつ、「賑わい」を生み出す空間を創り出していきます。市内で最も広い幅員、道路の幅を持つ花園町通りは、堀之内と市内最大の交通結節点である松山市駅を結んで、子どもからお年寄りや、障がい者の方まで、多くの方が利用しています。ここを、「歩いて暮らせるまち松山」の新たなシンボルロードとして整備をしていきます。具体的に申し上げると、花園町通り、最も自動車の交通量の多かった時に比べると、自動車の交通量は約半分に減っています。そこで、電線類の地中化に合わせて、片側2車線の車道を1車線にし、自転車道と、幅4メートルから10メートルの快適な歩行空間を整備します。去年7月には、東側の商店街のアーケードを撤去して、地元が中心になってファサード整備、景観整備を行いまして、良好な景観になりました。歩道にはベンチや広場を整備するなど、最大約10メートルの歩道を生かして、さまざまに利用できる空間を創っていきます。また、広場の街路にふさわしい素材、自然石など本物の質感を生かすほか、正岡子規はこの花園町で生まれたことにちなんで、子規が俳句で詠んだ草花を選定します。えひめ国体の開催前の完了を目指しています。

 市内中心部だけではありません。今日は時間の関係で、周辺部の話題を一つだけ御紹介させていただきます。島の活性化と移住定住を目的に、興居島に体験滞在型交流施設「ハイムインゼル興居島」が、今年の4月にいよいよオープンします。未利用になっていた旧由良小学校の跡地を活用して、居住が8戸になります。木造平屋の1LDK、それぞれがロフト付きで、延床面積が62平方メートル。すべての区画に約100平方メートルの農園と駐車場がついています。市民農園は発祥がドイツのため、ドイツ語で「ふるさとの島」を意味する「ハイムインゼル」という愛称に、市民公募で決まりました。入居期間は最長3年で、使用料は月額3万8千円です。地元の住民と交流をしながら、島の魅力を体感して、移住生活を体験してもらって、将来的には、島に定住してもらいたいと考えています。

 私が、就任後、真っ先に取り組みました「タウンミーティング」が、来月2月で100回を迎えます。皆さん御存知のとおり、私は一市民から、皆さんの応援をいただいて、この立場で仕事をさせていただいています。一市民出身だからこそ、一方的にやらない、押し付けでやらない、上から目線でやらない、常に「市民目線」、「現地現場を大切に」取り組んでいます。まちづくりは、行政だけではできません。これからも、「聞きっぱなしにしない、やりっぱなしにしない、課題は減らす、魅力は伸ばす」この松山市版のタウンミーティングを重ねながら、市民の皆さんと一緒にまちづくりを実現していきたいと思っています。

 さまざまスライドを用いて御紹介をさせていただきましたが、今日の話を振り返ると、温泉の話をしました。心も体も温泉で癒される、「健康」です。花園町通りの話をさせていただきました。歩いて暮らせる。外に出て歩いていただくことで出会いがありますから人もつながっていく、心も健やかになっていく、体も動かして「健康」になっていく。島の話をしました。温かい瀬戸内の魅力を感じてもらいたい、温かい人情を感じてもらいたい、「健康」です。都会の便利な生活もいいですけども、やっぱり松山は暮らしやすい、そういったところを感じてもらって、健康になってもらいたい。とにかく、この松山で心も体も健やかで、幸せを感じていただきたい。「健幸」、「健やか」で「幸せ」と書きましょう。私は日本一「健幸」な都市を皆さんと作るべく、今年も全力で取り組んでまいりますので、御理解、御協力をいただきますようお願いを申し上げまして、私の新年の御挨拶とさせていただきます。御清聴、誠にありがとうございました。

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