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04 フォトグラファー 国貞 誠
誰でも撮れる時代だからこそ、プロとして圧倒的な差が必要
PROFFESIONAL PHOTO KUNISADA名義で活動するフォトグラファー。愛媛県今治市出身。写真家・稲田新一氏に師事し、2004年よりフリーランスとして独立。各種情報誌をはじめ、企業・学校の広報誌、企業ホームページ、SPツールなどあらゆるジャンルの撮影に対応。
PROFFESIONAL PHOTO KUNISADA
□ MAIL m.kunisada@taupe.plala.or.jp
□ 業務内容 旅雑誌、各種情報誌、企業・学校の広報誌、
会社案内・入社案内、企業ホームページ、SPツール撮影
Q 国貞さんはフォトグラファーですが、実際にはどんな仕事をされてるんですか?

動画ではなくスチールを主としているカメラマンは、広告系のポスターやチラシの写真を撮ったり、ブライダル系の写真を撮ったりと、たくさんのジャンルがあると思うんですが、僕の場合はフリーランスのカメラマンとして、雑誌などのエディトリアルな写真を撮ることが多いです。

Q どんな経緯でこのお仕事に就かれたんですか?

若い頃はアパレル企業で働いていました。当時は“トレンド”というものがハッキリしていたんですが、将来的にはもっとファッションが多様化していくんじゃないかと思った時に、自分が店をもつことやずっと販売員をしていくことにビジョンがもてなかったんです。だから手に職というか、自分の技術で食べていける仕事をしたいと考えました。その時に趣味でちょっとだけ写真を撮っていたので、可能性があるとすれば写真かな、と。とても不純な動機なんですが…(笑)。そして、30歳前後の時に丁稚奉公として写真事務所に入ったんですが、今までやっていたことがプロでは全く通用しないということを痛感しました。唯一できることは、フィルムを入れることぐらいでしたね。夜はバーで働きながら生計を立てていましたが、「上達している」という実感が全くなく、道が開く兆しすら感じられなかったんです。もちろんフィルムの時代なので、練習にもお金がかかる。なんだかもう絶望の淵という感じでしたね。
それで、1年ほど経った時に師匠から「辞めろ」と言われ、写真事務所を辞めることになったんです。もう熱い想いよりも「無理なんじゃないか?」という気持ちが強くなっていた。何より自信がもてなかったんです。でも辞めた1週間後に、師匠から仕事を紹介されたんです。簡単な仕事だったけど、そこで初めて「力がついている」と実感できた。なぜかと言うと「仕事」だからなんです。プライベートの写真には正解というかゴールがないけれど、仕事だと「こんな風に撮ってほしい」という答えが明確にある。お客さんの要望に応えられたことが自信になりましたね。
そこでもう一度カメラの仕事を続けることにしました。もちろん初めは悲しくなるくらいのギャランティでしたが、「まずは何でもやろう」という気持ちだった、とにかく実績が欲しかったんです。もうそれほど若くもない僕としては、例えば1カット3,000円の仕事を3,500円にしたいのではなく、いくらぐらいで撮ってもらえるんだろう?」って思ってもらいたい。一刻も早く「この写真誰が撮ったの!?」というレベルになりたかったんです。それが自分の理念になり、徐々に目に見える実績ができていきました。
Q 転機となったお仕事はありますか?

自分の中で大きかったのは「四国旅マガジンGajA」(SPC出版)ですね。仕事をはじめて3年半くらいでした。最初は小さなカットを依頼されただけだったのですが、それを見た当時の編集長が認めてくれて、表紙まわりやそれに伴う雑誌広告にも僕を起用してくれたんです。自分の写真を使ったポスターが広告賞を取ったりと、ネームバリューにもなったし、信用力になってくれましたね。そこで2歩3歩先のクリエイターとも出会えたし、そういう意味でも転機になったと思います。 
ある時期「急に写真がうまくなったね」と言われる事があったんですが、たぶんそれは「表現する」というエディトリアルなフィールドがあったからです。がむしゃらにやったおかげでたくさんの種類の仕事経験がストックされ、その上で自分の表現を発揮できる喜びというのがありました。「四国旅マガジンGajA」の仕事は、広告ではないエディトリアルな写真を求められます。つまりドラマチックな物事や情緒を表現すること。その面白さを知るきっかけになったと思います。
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Q 仕事場として地元を選んだワケは?

僕の場合は、もともと東京に対する憧れが全くないんです。地方でも東京と差なくクリエイティブな仕事ができる時代がやってくるだろうと思っていたので。だったらわざわざ東京に行くよりも、四国をもっと発信することを大切にしたいという気持ちがありましたね。
東京でカメラを仕事にしていくとすれば、ものすごく 細かくセグメントされた中でやらないといけない。逆に言うと、いろんな種類の写真を撮れるというのは地方のメリットですね。美味しそうな料理写真も撮りたいし、すごく壮大な自然も撮りたいという自分としては、東京に行くことに意味を感じなかったんです。
プロフェッショナル化していくのもいいと思うけど「オールジャンルやってみたい」という気持ちは今でも変わりません。

Q 今後の展望

昔はカメラを使いこなすこと自体が「仕事の価値」でしたが、今の時代は写真は誰でも撮れるんです。スマートフォンしかり、デジカメしかり、なんとなく雰囲気がある写真を誰もが撮れる時代なんです。だからこそ「この人じゃないと撮れない写真」や「この人だから撮れる世界感」というものが重要になってくる。デザインでも写真でもイラストでも映像でも、ウェブメディアなど、自分たちで発表できる場が広がっている時代だからこそ、プロとして圧倒的な差が必要だと思っています。
あと、どこかで「自分の世界はコレだ」というものを見つけたいという願望は昔からあります。一番よく聞かれるのが「何を撮るのが一番楽しいですか」という質問なんですが、本当にないんです。ないというか、わからない。エディトリアルをやらせてもらったおかげで、いろんなジャンルを撮る楽しさを知ってるから、何が一番好きかってことがわからないんです(笑)。これからはそういうものを見つけたいですね。
MAKOTO KUNISADA WORKS
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「マツヤマ ワンコインアート プロジェクト」ポストカード

  SPC出版
タウン情報まつやま2014年2月号
「とっておきのパン屋さん」表紙
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SPC出版 四国旅マガジンGajA058号「美味しい四国ここにあり」表紙・紙面/ 2013