道後温泉絵図 1幅、付 明月上人道後温泉詩 1巻、伊予国道後温泉記 1巻

更新日:2012年3月1日

「道後温泉絵図、付 明月上人(めいげつしょうにん)道後温泉詩、伊予国(いよのくに)道後温泉記」について

道後温泉絵図 1幅

明月上人道後温泉詩 1巻

伊予国道後温泉記 1巻

文化財の区分

松山市指定有形文化財(絵画)

指定(登録)年月日

昭和41年2月7日 指定

所在地及び所有者(管理者)

松山市道後公園 松山市

解説

 『道後温泉絵図』は、彩色も美しく非常にきめこまかく描かれている。現在の道後鷺谷町あたり(道後温泉本館の北西の方向)から俯瞰したようなかたちで絵の上部に四国連山が霞み、その手前左方に伊佐爾波神社、その右に湯神社及び伊佐爾波の丘が見える。また、中央に温泉場が描かれている。北側に「一の湯」、「二の湯」、「三の湯」等の出入り口が見え、その右手(西側)に牛馬湯が見える。牛馬湯には馬2頭が入浴しており、2~3頭が入浴するため手綱を引かれ、うち2頭が湯壷を怖がっている様子や、入浴待ちと思われる馬2頭が杭に繋がれている様子などが細かく描かれている。町中を行きかう人々の風俗も種々雑多で、行商人、旅人、帯刀の武士、町人などが、周囲の旅宿、土産屋近辺に描かれ、当時の賑(にぎ)わいが感じられる。手前は、竹林を主体に描かれている。江戸時代後期の作と考えられるが、作者は不詳である。
 明月上人は享保12年(1727年)周防国(すおうのくに)屋代島に生まれた。名は明逸、字は曇寧、浄土真宗の僧で、幼いころ湊町円光寺の義空の法嗣として迎えられ、7代目の住職となった。詩文に長じ、書道にも秀で、唐代草書の大家と称せられた懐素(かいそ)を習って特に草書が得意で、越後の良寛、備中の寂厳(じゃくごん)とと共に幕末の緇流(しりゅう)の三名筆といわれた。
 『道後温泉記』の筆者は、萱町雲祥寺の住職、雲山和尚、名は乾巌。文養堂、文雲、江勝堂、無窮などとも称し、仏典に通ずるほか多能多趣味で、書道、絵画、彫刻、詩歌俳句をよくしたという。安永年間に生まれ、寛政4年(1792年)9月2日、91歳で没している。
 この書は、宝暦10年(1760年)に完成したものである。その内容は、入浴方法に関する著者の批判とか、聖徳太子の道後温泉碑の所在についての詮索(せんさく)、地震による温泉の被害の模様などが漢文で記されている。

お問い合わせ

文化財課(文化財保護担当)

〒790-0003 愛媛県松山市三番町六丁目6-1 第4別館2階

電話:089-948-6603

E-mail:kybunka@city.matsuyama.ehime.jp

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